「最後をどうするか」を考えておく
こんにちは、札幌のかかりつけ医&病棟医&在宅医@今井です
今井は在宅医として年間それなりの件数の看取りに立ち会っています。毎回毎回思うことは、「最期の場面って、本当に人それぞれだな」ということです。(当たり前っちゃ当たり前ですが)
住み慣れた自宅で家族に囲まれて穏やかに旅立っていく方。病院のベッドで管につながれながら最期を迎える方。本人は「家に帰りたい」と言っていたのに家族が心配で結局病院になってしまった方。家族がいないため医療者に見守られて一人で静かに逝った方。
どれが正解、ということはないんです。でも「本人の希望通りだったかどうか」という点では、大きな差があります。
「考えていなかった」が一番困る
現場にいて一番つらい(困る)のは、本人が意思を伝えられなくなってから「どうすればよかったんだろう」と家族が悩み続けるケースです。「お父さん、どこで最期を迎えたかったんだろう」 「延命治療、本当はどう思っていたんだろう」 「こんな状態になること、知っていたら何か言っていたかな」
事前情報が全くないままであれば、けっこく家族の方が答えが出ないまま罪悪感を抱えることになる。これが一番しんどいです。(療養中の方針もぶれやすくなりますし)
逆に、本人がちゃんと話してくれていた家族は迷いながらも「お父さんの希望通りにしてあげられた」という気持ちで在宅支援や旅立ちを受け入れられることが多い。
「考えておくこと」は、自分のためだけじゃなくて、残される家族のためでもあるのかなと。
人生の後半戦に入ったら、一度だけ考えてみてほしいこと
難しいことじゃないです。
どこで最期を迎えたいか?
自宅?病院?施設?ホスピス?それとも、どこでもいいから家族の近くがいい?
正解はないです。「わからない」でも全然OKです。ただ「どこで迎えたいか」を一度でも考えたことがある人と、全く考えたことがない人とでは、いざというときの準備が全然違ってきます。
どう最後を迎えたいか?延命治療についてどう思うか?
心臓マッサージ、人工呼吸器、胃ろう・・・・これらを「できる限りやってほしい」のか「苦しまないことを優先してほしい」のか。
これも正解はない。でも「考えたことがある」(→家族に伝えた)かどうかが大事です。
誰に決めてほしいか?
自分が判断できなくなったとき、誰に代わりに決めてほしいですか?配偶者?子ども?きょうだい?
その人に「自分がどう思っているか」を伝えておくだけで、その人がどれほど楽になるか・・・・(^^♪
「縁起でもない」と言わないでほしい
こういう話をすると「まだ早い」「縁起でもない」という反応が返ってくることがあります。でも今井が15年間在宅医をやってきて思うのは、「早すぎることはない」ということですよ。
元気なうちにしか考えられないことがあります。体が動かなくなってから、認知症になってから考えようとしても、もう自分の意思を伝えられなくなっている。「死を考えること」は「死を急ぐこと」ではないですよね。逆に「どう生きたいか」を考えることかなと。
終わりを考えることで、今をどう生きるかが少しだけクリアになると思いますよ(^^♪
皆さんは自分のこと、きちんと考えて伝えていますか?
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