公開日:2017年05月18日

感情面の問題の解決策

今日も暑い1日ですね・・・・

 

こんにちは、札幌ですが体感温度は既に30度近いんじゃないかと思いますが皆さんいかがでしょうか?朝から訪問診療ずっと行っていましたが、患者さん宅で診療→車に戻る→車内が暑くて死にそうになる→ぐったりになる→ようやく次の患者さん宅到着→以下ループ・・・・・って感じが続いていました。

なので少し休憩とろうかと思った時にこの近く通りました↓

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はい、伏見神社です。その隣にこんなお店あります↓

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まあここで休憩となるとこうなります↓

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美味しかったです。皆さんもお近く通ったらぜひ食べてみてください・・・・

 

さて医療の話ですが。先日ですがご自分の病状について納得できない患者さんがいました。話を聞けば前医の医療者から病気についての話はしっかりされているような気がしますが、やはり感情の部分の問題もありご自分で腑に落ちるような理解にはなっていないご様子です。それがゆえに病状について、今後の療養の方向性について説明しても医療的な問題、説明には中々耳をかしてくれません。曰く<そんな症状がおこるはずがない><体が動かなくなるなんてまだまだ年単位で先の話だ!>っていう感じです。

皆さんもこのような訴えをする患者さんを経験すること、結構あるかと思います。どのように対応したらいいでしょうか?教科書的な医師の理論、答えとしては、きちんと医学的事実に沿って説明し理解を得るように努める、といった対応になるのではないかと思います。その重要性は自分も否定しません。が特に在宅医療で患者さんとの距離が近い状態で解決策を考えるときには、感情面の問題が前面にでている患者さんに関しては自分は理論的な説得(ガイドライン云々はひとまず横に除けておきます)より感情面に焦点をあてた解決方法を模索します。

医療的な説明が最終的に患者さんを納得させる解決策となるのは重々理解していますが、患者さんの感情の持って行き方に注目した解決策を考えてあげること、そんなことがこんなケースでは非常に大事じゃないかなって考えています。ただこの感情的な解決策を模索する方法、一般的な医療のガイドラインとちがって100人患者さんがいたら100通りの解決策を考えなければいけません。そんなところが病院と違って個別の対応が必要な在宅医療では難しい一面なのかもしれませんね。

自分もこの患者さんの感情面の問題の解決のテクニック、まだまだ低いレベルですが少しでもレベルアップして治療に役立てたいですね。

 

さて本日の医療ニュースはこちらです。この問題は最終的にはケアにどれだけ人数を割けるかがキモになってくるの確かですよね。そろそろ日本の選択として移民を受け入れるのか、受け入れるならどの分野か、受け入れないならどう対応していくのか、はっきり決断しないといけない時期に来ていると思います。これ以上の問題の先伸ばしは問題をただ大きくするだけのような・・・・みなさんはどう考えますか?

MRICより http://medg.jp/mt/?p=7545

Vol.104 誰も知らない医療の現場:患者を拘束したくない!~拘束しなければ高額の賠償請求

この原稿はJB PRESS(4月12日配信)からの転載です。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/49699

看護師・保健師
坂本 諒

2017年5月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

私は看護師だ。大学を卒業してから3年間、精神医療センターに勤務した。入院患者の多くは認知症の患者で、何らかの身体疾患を持っていた。私は、日中3~4人、夜間6~7人の患者を受け持っていた。
ある夜勤の日、認知症の患者から「ここから出してください。帰りたいんです」と言われた。私は、「そうですよね、入院も長くなってますし、そろそろ帰りたいですよね」と答えた。
患者は「そうなんです。私は普通の患者です。縛られてるんです。出してください」と返してきた。この患者は、認知症の進行によって治療の必要性を理解できず、普段は意思疎通が図れなかった。彼からこのような言葉が出たことに、私は驚いて立ち尽くした。
患者は、誤嚥性肺炎を繰り返し、そのたびに絶食し、補液や抗生剤を投与していた。しかし、患者は、認知機能の低下によって点滴の必要性を理解できず、自分で管を抜いてしまいそうになることがあった。●拘束したくないが避けられない事情
加えて、サクション(肺炎によって喉元に溜まった痰を管で吸引すること)の必要性を理解することが困難で、暴力で抵抗していた。
また、歩行が困難な状態であるが、1人でベッドから降りようとするため、家族の了承を得て、拘束(抑制帯で縛ること)をしていた。

拘束は、寝たきりの状態をつくる。拘束で“管理”をすることはできても、それは“ケア”ではない。患者は、寝たきりの状態が長く続き、身体機能は低下し、拘縮(関節が固くなり動かなくなること)が進んだ。初めは自力でご飯を食べられていたが、それも難しくなった。
誰もが、拘束や寝たきりを避けたいと思うが、認知症によって自らの安全を保てない場合、対応できる看護師の人数が不十分であれば、拘束は避けられない。
事実、拘束の件数は、厚生労働省の調査が始まった2003年以降、増加の一途を辿っている。認知症以外の疾患を含む拘束件数は、2003年度の調査で5190人であったのに対し、2013年度の調査で1万229人と倍増している。

病院には、患者の転倒・転落を防止する義務がある。実際に、拘束をせずに転倒・転落による負傷・死亡が発生し、患者の家族が損害賠償を請求した事例がある。
負傷における訴訟では、グループホームに入所中の79歳の認知症患者が、1人で椅子から立ち上がり、転倒・骨折した事例がある。入院費用や傷害慰謝料など、400万円の支払いが事業者に命じられた。
死亡における訴訟では、ショートステイをしている81歳の認知症患者が、夜間に1人でベッドから立ち上がって転倒し、急性硬膜下出血で死亡した事例がある。
死亡事故という重大事故であったこと、また認知症があるため、指示を従わないことによる患者側の責任はないと判断されたことから、3402万円の損害賠償責任が認められた。

私たち看護師は、「拘束をしない選択」と「少ない人員配置による限界」との間で、ジレンマを感じている。私の働いていた急性期の病棟では、1人の看護師が、日中3~4人、夜間6~7人の患者を受け持っていた。
慢性期の病棟より受け持ち患者数は少ないものの、認知症の患者に常時付き添うことは難しい。慢性期の病棟では、1人の看護師が20人の患者を受け持つことがある。そのような状況では、さらに目が届かないだろう。
拘束は寝たきりをつくり、寝たきりは身体機能の低下を引き起こす。私たちは、この問題への対策を考えなければならない。

●圧倒的に足りない看護師、介護士

現状では、圧倒的な人員不足があるため、まずは人手を増やす方法が考えられるだろう。看護師や介護士の人数が増えれば、1人当たりの受け持ち患者数は減るため、手厚いケアができる。
しかし、実際に看護師や介護士の人数を増やすことは難しい。介護士を目指すための学校では定員割れが起きており、看護師は需要に対して供給が少なく、大学や専門学校が毎年新設され続けている状況だ。
あるいは、無資格のボランティアに、患者の見守りを依頼することはどうか。
しかし、ボランティアに義務はなく、さらに専門職ではないため、何か問題が起きた時に責任を取ることは難しい。実際、私の働いていた病棟では、ボランティアに認知症患者の見守りを依頼することはない。

認知症で自らの安全を保てない場合、1人で歩けないにもかかわらず、ベッドから降りようとすることがある。患者の力が強ければ、1人では対応できない。
実際に、暴れる患者には複数人の医療者で対応する。入院中は、点滴や経管栄養のルート、手術部位などに挿入されるドレーン、気管切開部に挿入されるカニューレなど、生命にかかわる管があるため、無資格のボランティアが見ている間に抜けてしまっては大変だ。

では、海外からの移民看護師を受け入れることはどうか。
看護師であれば、専門的な教育を受けている。ケアにおける言語の壁はあるが、専門職ではないボランティアと比較すれば、医療的な観察・処置はカバーできる。近年、専門職の移民は増加しており、特に医療分野においての増加が顕著だ。
移民は、年間20万人程度であれば、経済効果があるとされている。それならば、積極的に移民を受け入れ、委譲できる部分を任せることで、人員不足を補えるかもしれない。
日本の看護師の給与は、海外、特に東南アジアの看護師と比較すると、かなり高い。タイの看護師の月給は約3万3000円で、他国から看護師が流入するシンガポールでも約13万3000円である。

●米国に倣い人材を海外に求める必要

一方、日本の看護師の平均月給は35万円だ。高い給与や充実した教育環境があれば、優秀な人材が来てくれる可能性がある。
日本の移民看護師の受け入れ開始は2008年であり、受け入れは定着していない。一方、日本と同様に看護師不足の問題を抱える米国は、フィリピンからの移民看護師を多く受け入れている。
フィリピンには、米国植民地時代に導入された看護教育のカリキュラムがあり、さらに英語を話すことができる。米国の看護師の平均月給は、病院勤務で37万円~62.5万円と高い。フィリピンの看護師の平均月給は9800円であるため、高給与の米国への移住は魅力がある。

グローバル社会の中で、一時的な右傾化が進み、極端に閉鎖的な国が増えてきている。しかし、閉鎖的な環境が必ず停滞をもたらすことは、歴史から明らかになっているはずだ。
超高齢社会の今、日本は新たな局面に立たされている。グローバル化に柔軟に適応するか、閉鎖的になってしまうのか、選択をするのは私たちの世代だ。
閉鎖的になることを選択し、人手不足で火車のようになるならば、グローバル化に適応して移民を受け入れ、超高齢社会における圧倒的な看護師不足を補う方が賢明ではないか。

 

 

単純な問題ではないですよね。でもこの議論、避けられないと思います・・・・・