在宅医療のあるべき姿
今日はドタバタと忙しい1日です・・・・
こんにちは、今日は昼の時間がないので簡単に更新です。GW明けなので頑張って夜も時間あれば更新したいと思います。
西日本新聞のこの記事、いいですね。ご紹介したいと思います。
この記事で書かれている本質は小児でなくても高齢者でも誰でも同じだと思いませんか?最後の1文にあるように「会いたい人に会い、食べたい物を食べ、最期まで喜怒哀楽を失わずあの子らしく生きた。それを多くの人が支えてくれました」って、これが在宅医療のあるべき姿ではないかと思います。自分達もこのような支援ができるように日々頑張っていきたいと思います。
西日本新聞より 【ここで 在宅はいま】5歳半 最期まで家族と 小児がんの娘 穏やかに旅立つ https://www.nishinippon.co.jp/nnp/medical/article/326714
スーッ、スーッ-。武市信宏さん(44)と妻の聖子さん(34)=鹿児島市=は、自宅のベッドに横たわる次女の奈々ちゃんを見つめた。呼吸は浅く、次第に途切れがちに。顔色も青ざめてきた。「今なんだ」。登校していた姉の悠希さん(9)を迎えに、信宏さんが家を飛び出した。
隣室には主治医と看護師が待機していた。だが「延命措置はしない」という両親の思いを尊重した。父と姉が戻って間もなく、奈々ちゃんの呼吸が止まった。2016年6月28日午前10時36分、5歳6カ月の人生の終わりを、みんなで見守った。「頑張ったね」「ありがとう」。頭や体を優しくさすった。
看護師がディズニーのキャラクター「ラプンツェル」のドレスを着せてくれた。3カ月前に旅行したディズニーランドで買った。ドレスは奈々ちゃんのお気に入り。「奈々ちゃん、似合うよ」「お化粧もしよう」。家族で写真に納まった。
「きれいな姿で、眠っているような…。不思議と悲愴(ひそう)感はありませんでした」。聖子さんは語った。
◇ ◇
信宏さんの転勤で14年夏、都内から越してきた。奈々ちゃんは近くの幼稚園に通った。
15年9月2日深夜、奈々ちゃんが突然、激しく嘔吐(おうと)した。小児科医院を受診したものの「嘔吐下痢症でしょう」。その後も嘔吐を繰り返し、別の医院でも診断は変わらなかった。診察後の点滴中に意識を失い、鹿児島市立病院へ。呼吸が停止したため救命処置が施され、鹿児島大病院の集中治療室(ICU)に入った。
医師からCT画像を見せられた。呼吸や意識をつかさどる脳幹が腫れていた。「脳幹グリオーマ」。がんの一種で「治療しても余命は1年」と告げられた。
肺炎や敗血症など合併症も発症し、生死をさまよった。1カ月後、意識が回復し、自発呼吸を取り戻した。「この子は、私たちが思い残すことがないように時間をつくってくれている」。絶望の感情を抱きながらも、聖子さんはそう思えるようになった。
◇ ◇
一般病棟に移り、抗がん剤や放射線による治療が始まった。治癒ではなく、もう一度、家族みんなで暮らすことが目標だった。「奈々が今持っている力を生かしたい」。呼吸を確保する気管切開で言葉を発することができず、切開した喉の穴をふさいでもらって、年末に自宅に戻った。
奈々ちゃんはよく食べ、よく笑う子だった。退院後も同じだった。「年長さんになりたい」。一時は車椅子で幼稚園に通うほど回復し、大勢の友達とも触れ合った。「同じ年頃の子が普通に楽しんでいることを体験させたかった」
「奈々ちゃんは多くのことを教えてくれた」。牧師でもある園長の好意で、奈々ちゃんの葬儀を園内のキリスト教会で営んだ。園児たちが1人ずつ、ひつぎの奈々ちゃんに花を手向けた。
今春、奈々ちゃんの門出になるはずだった卒園式に、両親そろって出席した。玄関では、金色リボンが飾られたもみの木が出迎えてくれた。金色リボンは小児がん啓発のシンボル。「奈々が生きた証しを実感しました。縁あって暮らした鹿児島を悲しい場所にしたくない」。聖子さんは最近、小児がんの子どもや家族を支えるボランティアを始めた。
●九大病院 在宅移行を支援 専門チーム「子どもにとって一番良い最期を」
小児がんは医療の進歩で7~8割は助かる病気となったが、事故死を除くと子どもの死因の1位を占める。その多くが病院で最期を迎える。九州唯一の小児がん拠点病院、九州大病院(福岡市)は2015年4月、「小児緩和ケアチーム」を発足させ、QOL(生活の質)向上のための在宅移行に取り組んでいる。
同病院は年間、九州の新規小児がん患者の3分の1に当たる60~80人を受け入れる。チームは医師、看護師、社会福祉士など12職種で構成。心理学などを習得し、子どもに寄り添う米専門機関認定のチャイルド・ライフ・スペシャリスト(CLS)も加わっている。
小児がん治療は長期入院が必要で、通園や通学を諦め、感染症予防できょうだいや友達と会うことも制限される。治癒が望めなくなった場合、本人や家族の希望を踏まえ、チームは訪問診療の医師を紹介したり登校の環境を整えたりする。
病院によると12年1月~15年3月、小児がん(白血病など血液腫瘍を除く)で16人が亡くなった。うち自宅に戻ったのは1人。一方、チーム発足後の15年4月~16年5月、12人のうち4人が自宅で亡くなった。古賀友紀准教授は「その子にとっての一番良いかたちは何なのか、私たちの意識も変わりました」と話す。
チームの支援を受けて昨年5月、福岡市の自宅で7歳の長女をみとった両親は「娘の選択は間違いじゃなかった」と振り返った。
5歳のとき右脚のしこりに気付き「横紋筋肉腫」と診断された。長女には、CLSの力を借りながら病名や治療法など全てを伝えた。治療で一度は回復したが、小学校に入学した年の秋に再発。そのときも「他の6歳さんと比べると、長く生きられないかもしれないね」と隠さず伝えた。
主治医には、少しでも命を延ばすため入院して抗がん剤治療を勧められたが、長女ははっきり断った。「おうちでみんなと暮らしたいし、学校にも通いたい」。両親は葛藤の末に本人の思いを尊重した。
半年間の在宅療養中、主治医やCLSが見舞いに来た。「会いたい人に会い、食べたい物を食べ、最期まで喜怒哀楽を失わずあの子らしく生きた。それを多くの人が支えてくれました」
札幌でもCLSさん、在宅へのアウトリーチを積極的にしてもらえるようになるといいですね・・・