看取りの家は地域にはいらないのか?皆さんはどう考えますか?

こんにちは、札幌の在宅医&かかりつけ医@今井です。

 

先ほど流れてきたニュースで少し気になる記事がありましたので紹介します。一在宅医療者としては少し気になる内容です。

タイトルとともに内容についてもご紹介させて頂きます。

余命短い患者の「看取りの家」 計画に住民反対「死を日常的に見たくない」 神戸

望ましい最期の場所を余命の短い患者らに提供する施設「看取(みと)りの家」が神戸市須磨区で計画されていることに対し、近隣住民らが反対運動を展開している。事業者側は、病院や高齢者施設への受け入れを拒まれたり、在宅療養が難しかったりする患者の「受け皿」を目指すが、住民側は「亡くなった人が出ていくのを見たくない」「落ち着いて生活できない」など、死を前提とする計画に拒否感を示す。高齢化の進行で「多死社会」が迫る中、平穏な最期を描くのは容易ではない。(貝原加奈)

事業者は空き家の一軒家を施設用に購入し、昨年9月に株式会社を設立。「看取りの家」の運営を主な事業内容とする。事業者によると、余命宣告を受けた患者5人程度とその家族を受け入れ、利用者の希望に沿った介護や看護を実費で提供する計画という。

施設は、1970年代に入居が始まった須磨ニュータウンの一角にある。少子高齢化の進行で周辺では空き家が増加している。

昨年10月、事業者が自治会関係者に事業概要を文書で伝えたところ、自治会側が反対の意思を表明。詳しい説明を求める住民と事業者がもみ合いになり、警察が出動したこともあった。自治会側は「看取りの家はいらない」「断固反対」と記したチラシを住民に配布し、各戸の外壁に張り出した。その後、事業者側が住民説明会を申し入れたが、自治会側は拒否している。

反対理由について、住民の60代女性は「日常的に死を目にするのはつらい。車の出入りで騒がしくもなるだろう」と話す。別の60代女性は「人員体制が分からない。本当に利用者に寄り添ったケアができるのか」と疑問を投げ掛ける。

これに対し、事業者の30代男性は「病気が進行して治療を望まない人や、家族と最期を迎えたい人の受け皿が必要」と強調する。

男性は、介護老人保健施設などでの勤務経験があり、介護保険制度の制約から理想的なみとりが難しい現状を痛感したという。ただ反対運動は「想定外だった」とし、「引き続き住民の理解を呼び掛ける」と話す。

■迫る多死社会「受け皿」需要多く

余命の限られた高齢者を受け入れる小規模施設としては、「ホームホスピス」が全国で広がっている。利用者が住居をシェアし、事業者から介護と看護の提供を受ける仕組みは「看取りの家」と似ているが、「全国ホームホスピス協会」(宮崎県)は「みとりが目的ではなく、その人らしい日常を送るための場所」と違いを強調する。

同協会によると、ホームホスピスは18年12月時点で全国で54軒、兵庫県内では都道府県別最多の12軒が運営されている。16年の同時点と比べ、全国では2倍になった。

増加の背景には、人生の最終盤を過ごす「受け皿」を見いだしにくい現状がある。需要は多い一方、「最期」のイメージを持たれ反対運動が起きやすい▽経営環境が厳しい-などの課題があるという。

同協会は、看取りの家への反対運動について「名称の影響で、最期だけが強調されて伝わったのではないか。サービスの質をどう確保するかが重要」とする。(貝原加奈)

■死を自分の問題と考えて

【死生学に詳しい関西学院大人間福祉学部、藤井美和教授の話】 反対運動の背景には、元気に生きることだけを大切にして、老いや病気を遠ざける価値観の広がりがあるのではないか。病院や施設で亡くなる人が増えたことで、死は見えないもの、怖いものに変わった。突然日常に戻ってくると、受け入れ難く感じるのだろう。核家族が移り住んで始まり、死が身近になかったニュータウンという町の特性もある。一方で、どう人生を締めくくるかは生きている間の最大の仕事。死を自分の問題として考えてほしい。

 

 

うーん、個人的には似たような事業を考えていたこともあるのでこの反応は予想外ですが・・・・詳細は知らないのでわからないのですが、一般論として考えるとこのような結果となってしまったのにはやはり幾つかの要因があるのかと思います。

一つ目は事業者の問題。

まず「看取りの家」というのはそもそも看取り自体を目的とした家をつくること自体がおかしいですね。自分は地域社会の中での看取り自体は全く否定しませんし、むしろこれからの地域包括ケアの時代では避けられないことだと確信していますが、だからと言って「看取りの家」と名付けた施設が必要だとは100%思いません。

看取りはあくまで充実した生の延長線上にあるもの・・・・・既存の施設で看取りができないのが歯がゆいからと言ってそれを目的とした施設をつくることは、そうした方が集患なり集客なり会社経営上有利とするための戦略なの?と勘ぐってしまいます。

看取りに注力するために一番しなければいけない事・・・それはあくまでもより良い暮らし、行ってみれば人生を追求することが基盤にあってのことかと思います。

なので自分がこのような施設をつくるのであれば絶対「看取りの家」なんて名前はつけないですし、事業理念としても穏やかな看取りを目指す、なーんてこと言葉は絶対いれないで「飽くまでも100%充実した人生を過ごせるように介護や医療を提供することが一義で、その結果が良質な在宅での看取りとなることを目指す」とすればいいかと思います。

事業者の理念とその伝え方、これが住民にしっかりと伝わっていないのではないかと思われますがいかがでしょうか?

 

そして二つ目は住民の死に対する認識の問題。

「死」=「忌み嫌うもの」という意識をもつことは日本人なら宗教的に、伝統的に精神の根底にあることは否定はしませんが、死について考えること、向き合うことまで捨て去るということはもう地域社会としてもできない時代にきていると思います。

逆説的ですがより良い生を謳歌するためには、より良い死とはなんなのか?ということを考えることからスタートすることが必要ですよね。(逆もまたしかりですが)

この住民の反対意見は地域包括ケアの時代が進む中では他の地域でもどんどんでてくる可能性はありますが、各事業者に任せるのではなく行政や医師会、宗教界などが主体となってきちんと死と向き合うための土壌を構築すべきですね。

 

個人的には外来でお会いする高齢者のほとんどの方が、自分の死を考えることについては否定的ではないんじゃないかなという印象を受けています。むしろ受け止められないのは家族の方のほうでしょうか?

そろそろ死について、世代を超えて、職種や立場を越えて議論する時代がきていると考えますがいかがでしょうか?札幌ではどのような議論になるでしょうかね???

 

皆さんの地域ではいかがですか?よければ教えてくださいね。

 

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3月診療担当医のお知らせ

2月の診療担当医をお知らせいたします。

内科・脳神経外科科は、7時~14時(受付時間は7時~13時半)

皮膚科は、平日14時~17時(受付時間は13時半~16時半)です。

よろしくお願いいたします。



~「なぜ病気になったのか」「死とはなんなのか」「生きることはどういうことか」~スピリチャルペインは医療者が治療できるのか?

こんにちは、札幌の在宅医、在宅緩和ケア医@今井です。

 

患者さんの御家族へのお悔やみ訪問であったり、看取った患者さんの家族を外来で診察していると、やはり悲嘆の強さは人それぞれですが大なり小なり皆さん抱えていることがよくわかります。

その中でご家族から聞いて印象的であることは「思い返してもこんな病気になってしまったことが悔しい」「自分のケアはもっと別のいい方法があったのではないか」「○○の死をまだどうしても受け止められない」などなど・・やはり死を受け入れること、病気の経過のことを消化することが中々できない方が少なからずいらっしゃいます。

それ自体は全然悪いことではなくて、外来やお悔やみ訪問でできる範囲で聞く、対話することでケアをしていこうと考えていますが・・この問題、やはり根本的には患者さん自身や家族の精神的なつらさ、苦痛、具体的には「なぜ病気になったのか」「死とはなんなのか」「生きることはどういうことか」などの問いに、患者さんが存命中に誰も答えを出す手伝いをしてあげなかったことが起因しているのではないでしょうか?

いわゆるスピリチャルペインと言われている苦悩に関して、現代では医師や看護師などの医療者が対応することが多いかと思われます。ただその方法、対応としてはどうしたって稚拙で、どう対応していいかわからない、という医療者が多いのが実情なのではないでしょうか?

個人的にはこれらのスピリチャルペインと言われれる苦悩に関して、医学しか学んでいない現代の医療者が十分なケアを行っていくことは難しいと感じています。それではこれから多死社会を迎える中で、これらの苦悩に対してどう対応すべきでしょうか?

 

「生きるとは」「死とは」「病気になった意味とは」「つらさがなぜあるのか」「残す家族にどう対応すべきか」「死後はどうなるのか」「輪廻転生はあるのか」・・・・・これらの問いに答えるのはやはり現実的には宗教家の関わりが必要なのでしょうね。死後に関わるのではなく生前から宗教家、宗教師が積極的にスピリチャルケアに関わる、これができる場が病院であればいいですね。

仏教であれキリスト教であれその他の宗教であれ、体系的に一つの宗教の世界観を学んだ説教者であれば、必ず何かしらの気づきや学びを患者さんや家族に与えることができるはずです。

臨床の場で多くの患者さんや家族の方の苦悩を知っているので、どうにか宗教家が在宅緩和ケアの実臨床の場で(緩和ケアに限りませんが)活躍できるようになれば、と考えています。

 

皆さんは上記の問いが自分の問題となった時にどう答えをだしますか?自分で考えがまとまらなくなった時、感情が抑えられなくなった時どう対応したいと考えていますか?

医師や看護師のみでは解決できない問題は病気を抱えながら生きていると沢山ありますよね。一つの窓口として臨床宗教師が身近にいてくれる世界となればいいですね。

 

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病院医療者にも在宅側の共通言語を理解してほしいなって考えています。

こんにちは、札幌の在宅医@今井です。

 

最近ですがとあるケアマネさんと話をしていて「病院の医療者と話をするときに共通言語だと思っていることが通じていなくて困ることがある」ということをお聞きしました。

具体的には退院調整の時の話ですが、「区変」や「サー担」、「多数該当」、「訪問看護を医療で」とか「薬剤師の居宅療養管理指導が~~」とかって在宅では普通に使っている言葉で入院先の看護師さんや退院調整の担当者と会話しようとしても???となることがあると・・・・・・

在宅側としては当たり前のように考えているこれらの言葉や在宅の制度って、当たり前ですが病院の医療者にとっては「とても非日常」です。自分も病院に勤務していたから今はわかりますが、基本的には病院の医療者にとって医療はあくまで病院内でのことがメインですので、外来や在宅のことはその次にくる優先度の問題です。その在宅の細かなことや制度を知っていないって今の病院医療者にとってはごく当たり前かと自分は思いましたが・・・・・えぇでもこれらのことって病院の医療者が知らなくて済むのってあと5年くらいだと思うんです。

 

在宅の医療者、介護者の言葉がわからない、共通言語を話せない病院医療者はこれからは地域の医療や介護ニーズにこたえられなくなると考えています。

皆さん病院で勤務されている医療者の方はこれらの言語と制度についてきちんと理解していますか?在宅側と同じくらい医療や介護を取り巻く制度や状況について知っておかないと院内外の他職種と連携することは難しくなりますよ?よかったら少しでも興味をもって勉強してみてくださいね。必要なら当院はいつでも見学を受け付けますのでご連絡くーださい!

 

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在宅医療を紹介する漫画小冊子、クリニックに置いてますので気軽に持って行ってくださいね。

こんにちは、札幌の在宅医@今井です。

 

クリニックの看護師さんが昨年作成した在宅医療を紹介する小冊子、結構人気あって増版中です。在宅医療の本当に導入部分のみ紹介する内容ですが、漫画になっていますのでとってもわかりやすいんじゃないかなと思います。

作成してくれた看護師さんの絵柄も個人的にはとても好きですね。興味ある方はクリニックの外来に置いていますので気軽に持って行ってくださいね。

↓内容はこんな感じです。


看取りを行うためのサ高住はどうあるべきか?

こんにちは、札幌の在宅医@今井です。

 

昨日の夜は知り合いの企業の方から新しく行うサ高住に関してのカンファンレンスに参加してくれないか?とのことで参加してきました。先月に一度参加していますので今回は2回目の参加です。

カンファレンスの内容は1時間という時間があっという間に過ぎてしまうくらい濃密だったのですが、そこで皆の関心が強かった点は「住宅での看取りにどう向き合うか」という点。

札幌では「終の棲家になりえますよ!」「医療と介護の連携はばっちりですよ」「24時間看護師が常駐していますよ」「カンタキだから大丈夫」とかって語っているサ高住は多いですが、内実はかなり質としては問題のあるところが多いです。(在宅医側からみた印象ですが)

そんな中で看取りとどう向き合ってサ高住をつくっていくのか、という題から真っ向に職員を交えて話をしていくこの企業はきちんと患者さんと向き合っているな、と個人的には感じました。

サ高住で看取りにフォーカスするということは、逆説的ですがどのように住宅で充実して生きていくのか、日々をどう過ごしてほしいのか、ということを考えるのは重要ですよね。きちんとした看取りを行うサ高住って、有意義な、充実した生活の延長線上にあると考えますがいかがでしょうか?

昨日のカンファレンスは多様な視点からの議論を学ばせて頂き、また実際のサ高住をつくるまでのプロセスに僅かながらでも参加させてもらい非常に有意義な経験となりました。

 

やっぱり何かをつくるときって自分が利用したい、入居したい、使ってみたいと思えるものをつくるのは最低条件ですよね。皆さんはかりに施設に入所しなければいけなくなった時、特養、老健、療養病院、サ高住と色々な選択肢がある中どの施設を希望しますか?そしてその理由はなんでしょうか?

 

 

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2月診療担当医のお知らせ

2月の診療担当医をお知らせいたします。

内科・脳神経外科科は、7時~14時(受付時間は7時~13時半)

皮膚科は、平日14時~17時(受付時間は13時半~16時半)です。

土日については、

9日(土)・10日(日) 谷口先生

16日(土)・17日(日) 川合先生

23日(土)・24日(日) 川端医師

それぞれ変更になります。

脳神経外科領域の診察を希望する患者様は、来院される前にお電話にてお問い合わせ頂きます様お願い致します。

よろしくお願いいたします。


終末期における医療においてかかりつけ医の役割がより重要に~皆さんのかかりつけ医は誰ですか?

こんにちは、札幌のかかりつけ医&在宅医@今井です。

 

高齢者の救急医療については現在病院や在宅医療の分野で非常に議論が活発になっています。そんな中東京都の東京消防庁・消防総監の諮問機関「救急業務懇話会」にてこんな内容の議論がなされています。

終末期 かかりつけ医指示あれば…救急搬送時 蘇生中止も 東京消防庁の諮問機関答申

<東京消防庁・消防総監の諮問機関「救急業務懇話会」(会長=山本保博・東京曳舟病院長)は12日、救急搬送時に心肺蘇生を望まない人生の最終段階(終末期)の高齢者について、かかりつけの医師から指示を得られれば、蘇生を中止できるとする答申をまとめた。東京消防庁はこの答申を踏まえ、来年度中に、蘇生を中止できるケースを明示した救急搬送時の基準を作成する。

 答申は、心肺蘇生を中止する要件として、▽家族から、患者本人が蘇生を望んでいないという意思を示されること▽かかりつけの医師または連携する医師から、患者本人の意思と人生の最終段階であることが確認されること――の2点が必要とした。

 医師に連絡が取れない場合は判断ができないため、通常通り心肺蘇生を行う。現状では救急隊員が駆けつけた際、明確な指針がないため対応に苦慮する事例が起きていた。>

とのことです。

当院が診療している患者さんでも、家族がパニックとなってしまって救急隊要請、その後蘇生を希望しない旨を伝えても救急隊の仕事として蘇生しなければいけないとのこと→望まない治療に、となってしまった患者さんが少ないけれどもいますのでこのような議論がでてくるのは決して悪くないと個人的には考えています。

この議論、今後どんどん話がすすんでいき「かかりつけ医の指示があれば蘇生しなくてよい」というのがスタンダートとなるのは時間の問題かと思いますが、その時に備えて皆さんが考えておかなければいけないことはなんでしょうか?

自分としては最低限3つのことは考えておく必要があるのではないか。

①自分の終末期についてどう考えるのか。また家族にどう伝えるのか

②かかりつけ医はそもそも決めているのか

③そのかかりつけ医は何かあった時に連絡がつくのか

 

当たり前ですが人生の終末期にあたって自分の意思がどうなのかがまずは一番重要になります。その結論や方針に関しては人任せにせずきちんと自分で考え、そして考えるのみでなく周囲の人にきちんと伝えておく必要があります。

またかかりつけ医についてもきちんと考えておかなければいけません。認知症はA先生、循環器はB先生、整形はC先生・・・・・と色々な専門医にかかることは悪くはないですが、そのスタンスでいくとどの医師も「この患者さんの人生の最終段階における主治医は他科の医師では?」と考えてしまっても仕方ないですよね?

かかりつけ医を決めること、そしてある程度その医師に集約的に医療情報を集めてもらい全人的に診察してもらうことが今後人生の終末期において自分が希望する医療を受ける上では重要になってくるのではないでしょうか?

また最後ですがそんなかかりつけ医の先生を選ぶ時、何かあった時に連絡がつくかどうかも非常に重要になってくると思います。救急隊がかかりつけ医の先生に連絡したい→けれどクリニックがしまっていて連絡がつかない、ってなった時にはおそらくどうしようもない事態となるでしょう。どのようなかかりつけ医を選ぶかは皆さんの選択となるとは思いますが、上記のように長い目で見たときに自分に必要な医療はなんなのか、きちんと考えかかりつけ医を選ぶ必要があるでしょうね。

 

皆さんは人生の最終段階における医療についてどのように考えていますか?家族や周囲の人にきちんとその考えを伝えていますか?かかりつけ医はこの先生!!って自信をもっていえますか?その先生は何かあった時に連絡がつく体制ですか?

よければこの記事をみながら考えてみてくださいね。

 

 

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現状の精神科訪問看護は問題があると感じています

こんにちは、札幌の在宅医@今井です。

 

常日頃訪問看護師さんにはとてもお世話になっています。

患者さんの医学的な面だけでなく介護的な面の評価、生活面のアセスメント、家族の心理的背景や複雑な家族関係など診療だけではフォローできない所を、きちんと評価し必要な時に診療側に情報提供してくれるありがたい存在です。

そんな中少し違和感を感じるのが精神科からの訪問看護です。

具体的に自分が現状精神科訪問看護で問題だなと考えているのは大きく以下の2点です。

①精神面での評価のみとなっており身体面に関しては全くタッチしないというのが当然となっている

②治療方針や療養方針が多職種と共有されておらず、指示を出す精神科医師と訪問看護師だけの関係で終わってしまっていることが多い。(場合により精神科医師とも治療方針が共有されていない場合があるようですが・・・・)

 

①に関しては在宅医療=全人的に患者さんを観察し支援する、というのが当たり前だと個人的には考えていますが、精神科訪問看護の場合は身体面での問題があっても基本的には”我関せず”と言ったスタンスの事業所が多いと思います。

現在の高齢化社会の中で身体合併のない精神患者さんはあまりいないのではないでしょうか?認知症×担癌、統合失調症×糖尿病などなど・・・・身体面は絶対無視できないはずなのになぜ気にしないんだろうか?っていうのはすごい違和感を感じてしまいます。

②に関してもそうですね。結局精神面の評価と指示医師への連絡が主体となっているため、他の地域の他職種との連携があまりとれず結局「入ってはいるけれど何をしているのかわからない」「訪問看護の目的はなんなのか誰も知らない」ってことが起こり得ます。

 

精神科訪問看護の今後については大きな岐路にきていると個人的には考えています。このまま精神科という狭い考え、フィールドにとらわれたままであれば、地域包括ケアの現場で精神科訪問看護を継続していくのは他職種の理解が得られない結果となるでしょうね・・・

精神科訪問看護はどう変わるべきか?皆さんはどう考えますか?いいご意見があれば教えてくださいね。

 

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