公開日:2017年11月01日

医療事故調査制度に関して

過去ブログのカテゴリーとタグ付け、かなり時間がかかります・・・・・

 

こんにちは、今日はもう更新するつもりなかったのですが気になる記事を二つ程見つけたので紹介します。患者さん家族の気持ちがよくわかる記事と医療事故調査に関してどうあるべきかを考えさせらえる記事です。医療関係者の方いましたら是非二つとも読んでみてください。きっと色々考えることあるはずです。

ヨミドクターより

「奈落の底に幾度、落とされたら…」群大病院手術死、家族慟哭の手記

 群馬大学病院で、同じ医師が執刀した肝臓の 腹腔鏡手術後、患者8人の死亡が続発していたことが2014年11月に発覚した。肝臓や膵臓の開腹手術でも患者の死亡が相次いでいたことがわかり、診療の杜撰さが浮き彫りになったが、1人の患者が無理な手術によって重い合併症に苦しみ亡くなった様子を、家族がノートに詳しく書き留めていた。ベッドサイドで毎日、書き記されたノートは、なすすべもなく見守った家族の慟哭の手記でもある。

20代半ばの看護師…手術から41日後に死去

この患者は2008年に亡くなった岡田麻彩さん(仮名)。当時20代半ばで、群馬大学病院に勤める看護師だった。腹痛が強く、膵炎の疑いで前年暮れに入院。膵臓に腫瘍が見られたが、術前検査では、がんかどうか不明なまま手術が行われた。

しかし、腫瘍は取りきれず、再手術する前提でいったん手術は終了。病理検査の結果、2週間あまり後にようやく進行した膵臓がんとわかった。

後の調査によって、そもそも無謀であった可能性が示唆されたこの手術で、麻彩さんは家族との会話もままならない凄絶な苦痛と闘った後、翌月に亡くなっている。

麻彩さんの家族が毎日書き記していたのは、「麻彩の闘病記」とタイトルが書かれたB5判のノート。手術当日から亡くなるまでの様子や家族の思いが 綴られている。

手術の41日後、麻彩さんは帰らぬ人となり、日々の記録は13ページで終わった。

術後は毎日、麻彩さんに付き添っていた兄の健也さん(仮名)が主に記したもので、最後の3日ほどは母の筆跡も見られる。

「闘病記」より抜粋した主な内容は以下の通り(原文ママ、個人名など一部修正あり)。

 

大手術…麻彩は本当に頑張ったんだ

2月7日(木)

AM9:30 オペ開始。
術前に手術時間が短ければ臓器切除、長ければ臓器保存と言われていた。
PM10:30ぐらいにICUに呼ばれ、家族皆心配する。途中経過を聞き、出血多量との知らせ…家族皆余計に心配になり、無事を祈るばかり…。
AM12:00頃、主治医から手術の説明があり、良性の腫瘍だった事を知らされた。また、CTでの検査断面図よりも病状もひどかった事による大手術であった事も知らされ、麻彩は本当に頑張ったんだと思った。

2月9日(土)

相変わらず麻彩は寝たままだが、顔色が良いので安心はしていたが、夜、主治医から電話があり、術後の状態があまり良くなく、透析をするとの事。

2月11日(月)

いつものように群大へ。今日から暴れない様に手足をしばらなければならなくなってしまった。だんだん髪の毛も油っぽくなり、可哀想で仕方がない。

 

何度も乱れる呼吸…何も出来なくてゴメン!

2月13日(水)

主治医に呼ばれ群大へ。
麻彩は多臓器不全気味で、明日のオペは中止。肺の状態が少し悪くなった事に伴い、気管切開を行うとの事。おなかも閉腹。明日の切開以降は経過を見ながら2回目の手術。
悪性腫瘍だけはないように……と祈るばかり……。

2月17日(日)

今日は目を開いていた。話しかけても、瞳孔が一点を向いたままで何も気付いてくれない。苦しいのか、何度も寝返りをうとうとして動いて呼吸が乱れることもしばしば。すごく可哀想で見るに見られない状態だった。
麻彩ちゃん、何も出来なくてゴメン! 早くよくなって、一緒にバカをしたいね(泣)。

2月19日(火)

黄疸の症状もまだひかないので、何とか元気な姿になって欲しい。毎日辛いが、一番 辛つら いのは麻彩自身! 家族は麻彩が良くなるのを祈るしかない。頑張れ麻彩! お願いします神様……。

2月20日(水)

母と2人で群大へ。ガーゼの交換で待っていたのだが、偶然にも主治医と会い、お話しする事に。黄疸の症状はあるが、他の臓器は徐々に回復との事。黄疸は気になるが、他の臓器が回復という事だけでも少しは安心材料だ。

 

気付いてくれた(泣)…早く元気になって、ディズニー行こうね

2月21日(木)

今日も母と2人で群大へ。昨日に続きまた処置のため待たなければならなかったが、なんと!! 久しぶりに麻彩が目を開けていて、2人に気付いてくれた(泣)。今日は麻彩が喜ぶ事を沢山言ってあげた。麻彩も時おり反応してくれて、すごくhappyになれた。やっぱり麻彩には笑顔が似合う。麻彩ちゃん、早く元気になって、ディズニー行こうね。

2月22日(金)

今日は瞳を開いたまま、ずっと気付いてくれなかった。昨日笑顔を見せてくれたので、すごく心配になってしまった。黄疸が以前よりもひどく見えた。

2月23日(土)

午前中に父と親族3人が群大へ。午後は母方の親族で群大へ。母が買ったCDを持って行ってあげた。今日も笑顔はなかったが、目が昨日よりも良い感じがした。早く良くなって家に帰って来て欲しいと思う今日この頃…。

 

「進行性のすいガン」…、家族があきらめてどうする!!

2月25日(月)

今日は少し麻彩が起きていて、多少言葉のやりとりをした。久しぶりに麻彩の笑顔を見た。少し安心して帰宅したのだが、夜に主治医から呼び出しがあり、インフォームドコンセントをすることに。そのなかでまさかの宣告をされる。病理の検査結果は「進行性のすいガン」だそうだ…。今まで良性だと信じてきたのに…(泣)。いや、絶対信じない!! 麻彩が頑張っているのに、家族があきらめてどうする!!と自分に言い聞かせた。麻彩は絶対良くなって、家に戻って来る!!と信じ、これから先も一緒に闘うぞ!!頑張れ麻彩!!

2月26日(火)

昨日のことがあったので、少し不安な気持ちで群大へ…。麻彩はちゃんとわかってくれて、返事をしてくれた。こんな時、G(注:麻彩さんの元恋人)が麻彩に会ってくれたら…と思っていたら、夜、Gからメールが来た。今週末、麻彩に会いに来てくれるそうだ。麻彩には何にも代え難い薬だ。祈り続ければ奇跡は起こるかもしれない! 本当に嬉しい連絡だった。

2月27日(水)

麻彩の状態は相変わらず良くならない。黄疸もずっと出ていて、良くなったり悪くなったりの繰り返しだ。

2月28日(木)

Yちゃん(注:友人)がMDを持って来てくれて、ディズニーなどが入っていた。麻彩はディズニーが好きなので早く良くなって一緒に行きたい。好きな音楽を聴いて少しでも良くなれば良いのだが…。

2月29日(金)

明日いよいよGが来てくれる日。
麻彩は少しわかってくれたみたいで、嬉しく思っているように見えた。

 

元恋人のお見舞い…彼を思うパワーが麻彩の力

3月1日(土)

いよいよGが来てくれた。今日は透析もしておらず、麻彩のGを思うパワーが通じたのか、びっくりした。行ってすぐに麻彩が気付いたので、二人きりにしてあげた。明日何か良い変化があれば、Gのおかげだと思う。頑張れ麻彩!

3月2日(日)

今日は気管切開の管がステップアップしていた。Gパワーはやはり麻彩の力の源なのだろうか? 麻彩に良い事はどんどんしてあげたいと思った。

3月7日(金)

今日はTVを見ていたので、元気かと思えば、涙を流していた。あと少しだから頑張って!

3月11日(火)

ついに外科病棟の個室へ。面会は好きなだけ出来るので、これからは少しでも多くいたいと思う。

 

主治医「今月末頃まで」…愛しい娘、負けるな

3月12日(水)

(略)麻彩は時おり笑顔を見せたが、いつもよりは元気がない。非常に心配だ。加えて、主治医にダメ押しともとれる言葉を言われてしまった。「非常に厳しい!」と…。母と一緒に何度も泣いた。

3月13日(木)

今日は健也が麻彩に付き添い、眠れないとのこと。今頃になって本音を言えたと思うと痛々しい。神頼みと何とか奇跡が起きて欲しいと願う。命に代えても助けて欲しいと思う愛しい娘、負けるな…。

 

奈落の底に幾度、落とされたら…やり切れない思いだけが残ってしまう

3月15日(土)

主治医から今月末頃までという話、未だに信じられず、何かしてやれなかったかというやり切れない思いと奈落の底に幾度、落されたら良いのだろうか? このままではやり切れない思いだけが残ってしまう。

3月16日(日)

(略)ウトウトして麻彩に怒られてしまった。どうにか奇跡が起こって欲しい! また、麻彩だからこそ奇跡は起こせるハズ! 麻彩頑張れ! そしてご先祖の皆様、そしてモモ、チビクロ、トラ、チョコ、フック(注:ペットの犬たち)皆、麻彩を助けて!

3月18日(火)

きょうは朝から透析、体もだるく相当疲れている様子。何とか良い方向にとキチンキトサンを投与していただく。皆の思いがどうぞ愛しい娘に奇跡を!お願いします。やりたい事、まだまだ沢山あるじゃない。病は気からという、負けるな麻彩!

3月19日(水)

 

麻彩さんが亡くなった3月19日は、日付以外に何も書かれていない。それ以後、ノートは真っ白なままだ。

【略歴】

高梨ゆき子(たかなし・ゆきこ)

社会部で遊軍・調査報道班などを経て厚生労働省キャップを務めた後、医療部に移り、医療政策や医療安全、医薬品、がん治療、臓器移植などの取材を続ける。群馬大学病院の腹腔鏡手術をめぐる一連のスクープにより、2015年度新聞協会賞を受賞。

群馬大学病院の手術死問題

群馬大学病院第二外科で、同じ医師による肝臓の腹腔鏡手術を受けた患者8人が術後約3か月以内に死亡していたことが2014年11月に発覚し、その後、肝臓や膵臓の開腹手術でも死亡が続発していたことがわかった。

第三者の調査委員会が発足し、診療内容の詳しい検証には日本外科学会の50人を超える外科医が携わるという大規模な調査が行われ、2016年7月に調査報告書が公表された。調査結果からは、医師の技量だけでなく、手術が妥当かどうかの判断や事前の検査、手術後の管理にも様々に問題のある杜撰な医療が行われていたことが判明している。手術死の続発には、教授の指導力不足や第一外科との対立など組織の問題が色濃く影を落としていた。報告書の指摘を踏まえ、群馬大学病院は組織や診療のあり方を見直し、改革を進めている。

 

もうひとつはこちらです。

MRICより

Vol.223 恐れてきたことが起きた 医療事故報告書が裁判に使われる!

医療ガバナンス学会 (2017年11月1日 14:17)

つくば市 坂根Mクリニック
坂根 みち子
(医法協 現場からの医療事故調ガイドライン検討委員会委員長)

2017年11月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

 

2017年10月07日読売onlineに以下のような記事が掲載された(記事ではすべて実名のため一部加工)。
○市の産婦人科医院で1月、無痛分娩をした女性が死亡した事件で、専門医らでつくる医療事故調査委員会が報告書をまとめ、院長○○容疑者(業務上過失致死容疑で書類送検)による容体急変時の処置について「蘇生に有効とはいえなかった」と指摘していたことが、わかった。警察も緊急対応に過失があったとしており、医学的見地からもミスが裏付けられた(1)。
その前には、次のような報道もあった。(同様に一部加工)
豊胸手術死亡で名古屋市がクリニック立ち入り 産経ニュース2017年3月9日
豊胸手術を受けていた女性会社員(32)が意識不明になり死亡した事故で、名古屋市は9日、手術をした○○区の「○○クリニック」を立ち入り検査した。(中略)
また医療事故調査制度に基づく第三者機関への報告をしていなかったため、届け出るよう要請した。女性は2月27日夜、同クリニックで豊胸手術中に意識不明になり、搬送先の病院で死亡。愛知県警が28日、業務上過失致死容疑でクリニックを現場検証した(2)。2015年に始まった医療事故調査制度は、世界の医療安全の原則に則り、個人が特定されないように、個人の責任が追求されないように定めた上で開始された制度である。
そのために、報告書はどこの誰のことかわからないように「非識別化」することが省令で求められている。ところが読売新聞の記事は、報告書を元に書いており、公開されてはならないはずの個人情報と行った医療の評価が公にされてしまった。報告書が入手出来るルートは非常に限られている。制度の根幹を揺るがす重大な局面である。医療安全調査機構には徹底した調査を求める。
そして、この事例に関わった医療事故調査委員は再研修が必要である。紛争化している最中に、行った医療の評価をして過誤を認めれば、その報告書は裁判において決定的な証拠として使われてしまう可能性があること、その点も考慮して報告書の「非識別化」が求められていたことを理解していなかったからである。
また読売の記者もスクープのようにこれを報道することが何故問題なのか、永年にわたる医療安全の議論、責任追及でなく再発防止に主眼をおかないと結局医療安全は高まらない、そのためにこの制度が出来たということを全く勉強していない。他の先進国ならこのような報道はされなかったであろう。誠に残念な事態である。
同様に、医療安全推進の流れに水を浴びせかけたような警察の介入にも失望した。故意の犯罪ならまだしも、医療の結果責任を問うような業過罪の適応は世界の流れに逆行している。日本で刑法を変えるのは非常にハードルが高い。分娩施設が危機的状況まで減少する中で、このようなやり方は角を矯めて牛を殺してしまう。永年まじめにお産に取り組んできた医療機関が、何かある度にお産の取り扱いを止めてしまったらどうなるのか、社会全体で真剣に考えなければいけない問題である。必要なのは、刑罰に処してお産を扱わないようにするのではなく、より安全なお産が出来るようサポートすることである。名古屋の事例は紛争化している最中に、こともあろうか市の職員が、医療事故調査制度に届け出(正確には報告)するよう要請している。この制度による報告は「加えた医療による予期せぬ死であると医療機関の管理者が認めた時」にするもので、市の職員に報告要請の権限はない。まして紛争化している時に前述のような不適切な報告書が出来上がり、それが処罰のための証拠として使われてしまったら、一体名古屋市はどのようにして責任を取るつもりであろう。制度をよく知らないクリニック側が言われた通りにするのは目に見えている。
万が一にも、市の職員が警察と協議の上、報告を要請したものでないことを祈る。私たちはかねてより、今回の制度は未来の患者のための制度であり、紛争化したら この制度にのせるのは一旦待つように主張してきた(3)。また当初より、報告書が個人の処罰に使われないよう、報告書の書き方に注意を促し、報告書を手渡さないようガイドラインに記載してきた(4)。
全国医学部長病院長会議でも、紛争化事例の報告は一旦停止するよう、日本医療安全調査機構の医療事故調査支援センターに同様の申し入れをしている(5)。
ところが、センター幹部 木村壮介常任理事や運営委員会委員長の樋口範雄氏は全く聞く耳を持たず、紛争化している事例であろうが報告するよう広報してきた(6)。
今年の1月31日に開催された委員会の記事(7)を挙げる。
日本医療安全調査機構は1月31日、2016年度の第2回医療事故調査・支援事業運営委員会を開催、係争中の事例であっても、医療事故調査制度におけるセンター調査を実施することを確認した。センター調査は、再発防止策策定のために行うものであり、「そもそもそうしたこと(紛争等)と関係しない制度としてスタートしたのだから、係争中だからと言って、手を引くのはどうか」(運営委員会委員長を務める、東京大学大学院法学政治学研究科教授の樋口範雄氏(肩書きは当時))。そして危惧した通りのことが起きてしまった。当事者の秘匿性と非懲罰性の担保という大原則が無視され、医療安全の推進どころか、当事者が第2の被害者になろうとしている。
私はこのような事例が一例でも出れば、制度は実質瓦解するであろうと警告してきた。罰せられるのなら報告しなくなるのは当たり前である。
医療安全調査機構は医療事故調査制度のセンターとして不適格である。
医療事故調査制度には、他にも日本医療機能評価機構が行っている医療事故情報等収集事業がある。組織の生き残りをかけて事故調のセンターポジションを確保した日本医療安全調査機構は潔く撤退されれば良い。

全国の医療機関の管理者は、警察や市の職員、センターの要請で事故報告することがあってはならない。報告するかどうかの判断は管理者自身であり、その判断により罪に問われることはない。むしろ報告書の書き方やどういった事例を報告するかをミスリードしているセンターの言う通りにすると、医療安全の推進どころか、医療機関の存続に関わる問題となり、かつ残りの人生をかけて民事と刑事訴訟で闘わなくてはいけなくなることが今回のことではっきりした。
この国では、未だに再発防止のための制度と責任追及のための制度の切り分けが出来ていないのである。
参考
(1)http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20171007-OYO1T50015.html?from=tw
(2)http://www.sankei.com/affairs/news/170309/afr1703090035-n1.html
(3) Vol.004 「木村壮介氏は辞任せよ」~医療事故調査・支援センター・木村壮介先生へ医療現場から辞任のお願い~ http://medg.jp/mt/?p=7245
(4)医療事故調運用ガイドラインhttps://www.herusu-shuppan.co.jp/874-2/
(5)「裁判になれば、事故調制度は停止を」全国医学部長病院長会議が申し入れhttps://www.m3.com/news/iryoishin/462895
(6)紛争・訴訟事例でも“センター調査”実施 – 木村壯介・日本医療安全調査機構常務理事に聞くhttps://www.m3.com/news/iryoishin/476931
(7)“事故調”、係争例もセンター調査の対象に 日本医療安全調査機構、運営委員会で確認

 

 

坂根先生が言うとおり医療事故が起きたとき、きちんと原因が分析をして次につながるように医療安全を推進していくのが医療事故調査制度の目的のはずですね。本来の目的通りに運用されることを望みます。が群大の問題はそれ以前の話ですね・・・・・


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