PAS:Physician assisted suicideについての議論など

あっという間に外は暗くなりますね・・・

 

こんにちは、本日2度目の更新はする気なかったのですが、面白い医療記事2つ目にしましたので考え変わりました。現在日本ではPAS、PAD=安楽死はもちろん違法ですよね。ただこれからの社会でその希望は確かに高まるのではないかと実感する機会は日常臨床でもあることは否定しません。この問題これまではあまり社会全体では表だって活発に議論されることはなかったと思いますが(議論されてなかったとは言っていませんよ)、今後の20年30年先を考えて一度きちんと日本ではどうしていくのか、考えてみるのはいいことだと思いますがいかがでしょうか?皆さんはどう考えますか?(というか高久先生はこの話題よくご自分からお話されたと思います。医師がこの問題を敢えて語るのって結構勇気がいることだと思います。取り上げることで誤解されることもあるでしょうし・・・)

 

m3.com より https://www.m3.com/news/iryoishin/557393

「医師支援死亡にどのように対応するか」、高久氏がCMAAOで講演

「終末期医療」テーマに東京で総会開催

アジア大洋州医師会連合(CMAAO)の第53回総会・理事会が9月14日、東京都内で開催され、「終末期医療」をテーマに各国の出席者によるシンポジウムが行われた。第15回武見太郎記念講演として日本医学会前会長の高久史麿氏が講演し、日本の終末期医療を巡る議論の歴史や現状について説明。今後の課題として「海外で増加しつつある『医師支援死亡』(PAS、PAD)などにどのように我が国で対応するか」などと指摘した。

高久氏は高齢化が進む日本の将来や、自身が座長を務めた日本医師会生命倫理懇談会の報告書などを踏まえて、日本の終末期医療の現状を紹介。依然として、「医療の目的は『キュア』だけだと考えていて、延命だけが目的と考えている医師がいる。亡くなる人の8割が病院で死亡するが、病院では何らかの措置をすることが役割となっていて、過剰な医療が行われる。患者の尊厳ある死、平穏な死を助ける『ケア』も医療だとする医学教育が不十分だった」との見方を示した。

喫緊の課題は「平穏で適切な死に至ることを、個々の高齢者において実現すること」とし、課題を次の3点に整理した。(1)患者の意思決定支援の仕組みをどのように工夫するか、(2)在宅、施設、病院での望まない延命を防ぐために具体的にどのような方策があるか、(3)海外で増加しつつある医師支援死亡(PAS:Physician assisted suicide)に対して、我が国としてどのように対応するか――だ。PASについては、「日本でも避けて通れない課題である」と強調した。

次いで、2011年の東日本大震災をきっかけに生まれた臨床宗教師の活動を紹介。海外からの参加者に向けて、「宗教、宗派を超えて協力する」という日本ならではのあり方を説明した。最後に、「穏やかな終末を迎えるため、自分の意思を適切に伝えておくことが大事」として、リビング・ウィルの重要性を呼びかけた。

高久氏は現在86歳。約1時間の英語のスピーチを立ったまま行い、会場からは大きな拍手が送られ、講演の最後にCMAAO会長で、日本医師会会長の横倉義武氏が記念の盾を贈呈した。

BLOGOS より http://blogos.com/article/243863/?p=1

世界各国の安楽死を選んだ人々を取材して思ったこと

2016年1月から取材をはじめた国際情報誌・SAPIO連載「私、死んでもいいですか 世界『安楽死』を巡る旅」も遂に最終回を迎える。スイス、オランダ、ベルギー、アメリカ、スペインを経て、日本。国が変われば、価値観も変わる。筆者に強い影響を及ぼした言葉を振り返りつつ、「人間の最期」のあり方について、ジャーナリスト・宮下洋一氏が思いを綴った。

* * *
私の手元にあるボイスレコーダーには、多くの帰らぬ人たちの肉声が生き続けている。

老いていくことを不幸だと感じていた英国人老婦・ドリス(享年81)は、スイスで自殺幇助を受けて、わずか20秒で息を引き取った。死の前日の老婦の強烈な言葉が、忘れられない。

「これからは、頂点に達した人生が衰退に向かうだけです。せっかく良き人生だったものが、身体の衰弱によって失われる。それだけは避けたいの……」

スウェーデンから、スイスにやってきた元産婦人科医で、末期の膵臓癌だった女性・ブンヌ(享年68)は、ホテルの一室で、無意味に生き続けることの虚しさについて、こう嘆いた。

「なぜ、あと2か月も耐え難い痛みを我慢して生きなければならないのですか。耐え抜くことによる報酬でもあるのかしら」

安楽死の衝撃にいささか慣れた3度目の現場では、まだ生きる力を残しているように見える、多発性硬化症患者・サンドラ(享年68)を看取った。死の直前、「ありがとう、ヨーイチ」といいながら見せた笑顔は、鮮明に覚えている。取材を重ねるうち、当初、安楽死に疑念を抱いていた私の死生観は、覆されていった。

遺族への取材も多く行った。

安楽死容認国・オランダに向かった私は、2013年、認知症を理由に安楽死を遂げた元船大工のシープ(享年79)の遺族を当たった。決行当日、集まった家族25人を前にシープは、こんな言葉を言い残したという。

「いいかい、人間はみんな個人の生き方があるんだ。死ぬ権利だってある。誰ひとりとして、人間の生き方を他人が強要することなんてできないんだ。それだけは理解してくれ」

世界的にみても、安楽死は、おおよそ3つの条件が備わらないと決行できない。
【1】本人の意思表示、【2】不治の病である、【3】耐えがたい苦痛を伴う

このケースがはたして、「耐えがたい痛み」に該当するのか否か。この疑念は、ベルギーで2002年から法的に許された精神病患者の安楽死にも、当てはまる。当初は、この正当性に否定的だった私も取材するなかで、意識が変わっていった。

ベルギーで30年以上にわたる躁鬱病生活に終止符を打ち、2013年、49歳でこの世を去った男性・クンのケースを取材した。母と娘(血の繋がりはない)は、クンを診断した女医からこう言われたという。

「彼は刑務所で独房生活をしているようなもの。彼はそこから解放されたい。彼にとって死は、自由と平和を手に入れることなの」

彼には生きることが死ぬに値する苦しみだった。治療が期待できず、さらには耐えがたい苦しみを抱かせる精神疾患の存在について私が勉強不足であったことを白状しよう。彼は医師の注射で安楽死を遂げる前に、妻に落ち着いた口調でこう語った。

「もし、あの世があるのなら、君に居心地の良いスペースを取っておくよ。でも、急がなくていいから……」

◆時には罪悪感を持つ

スペインでは、安楽死が容認されていない。29年間、寝たきりだった全身不随の男性・ラモンが周囲の助けを得て安楽死に及んだ1998年の事件は、刑事事件に発展。私は毒薬を飲ませた恋人と、その殺害を恨む家族を取材した。

恋人は、「本当にその人を愛するのであれば、その人にとっての幸せを叶えたい」と語り、正当性を強調したが、彼女と絶縁した家族は、「記憶を消し去る努力はできるが、許せない。あれは犯罪だ」と憤慨した。

双方に頷ける部分を発見した私は、この時から、人間の最期に一般的な理想を描いてはならないと自覚するようになった。

アメリカでは、17年前、末期癌で自殺幇助に臨んだ女性・ジャネット(72)が、健康に暮らしているという事例を取材した。ある医師との出逢いがきっかけで放射線治療に励み根治したという。彼女は、「グレイト・トゥービー・アライブ(生きていて良かった)!」と私に告げた。

その医師は、私にこう語っていた。

「人々は、耐えられない痛みのせいで安楽死や自殺幇助を選ぶのではなく、周りに迷惑をかけたくないという理由から選ぶ傾向のほうが強いと言います」

もはや何が正解かわからない。そこで、再び安楽死取材をはじめるきっかけとなったスイスの自殺幇助団体「ライフサークル」のエリカ・プライシック女医に会いにいった。彼女は当初、私にこう語りかけていた。

「あなたには、色んな人を取材して、中立な立場で執筆してもらいたいわ。世界には、私だけでなく、たくさんの医師や患者がいるの」

年間80人以上の患者を幇助する彼女は、プロフェッショナルである。だが、女医に安楽死の矛盾を告げると、その彼女ですら私の前でこう嘆くのだった。

「私だって、すべての幇助が正しいとは思わない。時には、罪悪感を持つことだってある」

もっとも新しい例は、この日の朝、女医が自殺幇助したドイツ人女性についてだった。

「彼女の病気は、全身麻痺でしたが、本当はまだ生きることが可能でした。病に倒れてからの2年間は、地獄の生活だったことでしょう。しかし、そこから20年間は、おそらく精神的な安定期に入ったと思うのです。彼女が死んだ時、私は恋人が泣きわめく姿を目の当たりにしました。この段階で幇助するのは間違っていました」

彼女に最大限の敬意を払いつつも、私はこう思った。後悔しても死人は帰らない。

◆安楽死が幸福を呼ぶ

欧州にわたって20年を経た私だが、死生観に関しては、どこまでいっても日本人気質が宿っていた。逆に考えれば、「個人」の生き方に重きを置く欧米だからこそ、安楽死の自由を願う人がいるのだと、このとき納得していた。

日本では、実質的に安楽死が認められていない。だから、安楽死が取り沙汰される際は、それを決行した医師に対する刑事事件が発生したことを意味する。東海大学医学部付属病院(1991年)、国保京北病院(1996年)、川崎協同病院(1998年)でそれぞれ起きた事件は、どこまで医師が自発的に行ったかが、長らくベールに包まれてきた。

私は、手を尽くして当事者の声を探った。だがこの問題は今でもタブーとされ、関係者の口は一様に堅い。ある医師が、私に語った言葉が耳に残っている。

「君がいくら正義感を持ってやっているとしても悪い影響力を出していることを君は何も考えていないのか」

やはり、日本で、安楽死という観念を探るのは難しいのか。そう思っていた頃、法律で規制されている日本から離れ、スイスに渡って安楽死を求める人々がいる事実を私は耳にし、衝撃を受けた。その数は3人。みな、プライシック女医の自殺幇助団体「ライフサークル」に会員登録済みなのだった。

全員の対面取材は叶わなかったが、各々からのメールが私に届いていた。彼らが安楽死を望む理由は共通し、ベルギーで見た精神疾患から来る死への切望だった。

3人のうち1人は、統合失調症患者の女性。もう1人は鬱病患者で、自殺未遂の経験を述べていた。現時点では、彼らの身元を明かせないが、そのうち1人は、近年、自殺未遂を図ったという。私は、その関係者に面会し、涙ながらに彼女がこう語るのを聞いている。

「実際に**(安楽死希望者の名前)が安楽死できるだろうと分かった時、幸せを感じていたところもありました。生きている限り苦しみと不安が続くようにも見えましたから」

安楽死が幸福を呼ぶ。実はこの逆説的結論については、3人のうち私が唯一会えた、30代後半のシングルマザーからも聞いている。

「私といるとみんな不幸になるの」と死の理由をかたる彼女の精神疾患は、どうやら幼少期の両親からの虐待が、現在の彼女にストレス障害を与えているようだった。だが、安楽死サークルに登録したことがすなわち、彼女の死に繋がるわけではない。

「とにかく登録できたことが(死を妨げる)抑止力になっているんです」

「死ねる自由」を持つことは生きる希望にもつながるのだ。これは彼女にかぎらず、世界全体で見られる現象だった。こうした安楽死の別の側面を知るにつけ、日本でも諸外国が繰り返してきたような議論の場をまずは設けた方がいいと思うようになった。

◆絶食を選んだ男

実は、私の身近でも、ある元経営者が、特異な死を遂げている。肝臓から数器官に転移した癌と闘った彼は、自らの死を記念日とする誕生日に当て、世を去った。安楽死が不可能な日本で、痛みを最大限に抑え、命を絶つこと、それは絶食だった。今の日本で、「尊厳のある死」──それは延命治療を中止する「尊厳死」とは違う――を迎えるためには、もはやこうした方法しかないのだろうか。

その長男も、「親父らしい生を全うしたと思います。家族にも悔いはない」と、私に誇らし気に伝えていた。

人間にとって、何が幸せな死に方なのか。この取材を重ねるなかで、わたしはそのことをずっと考えていた。それは国、文化、宗教など、価値観の差によって、個人の考えに開きがある。死に方こそ、その人間の生き方に直結する。己が幸せだと思える死に方で旅立つことが、生を全うした証ではないか……。

しかし、それを成就するためには、忘れてはならないことがある。最愛の人――それは家族、夫や妻、時には友――に共感してもらえる死こそ、残された者の心に深い傷を残さないのではないか。それが、安楽死なのか自然死なのか、生前に最愛の人と重ねる「死の対話」こそが重要な鍵を握る。

ただし日本では、その対話すらタブーであると見なされることが多いのが残念でならない。その対話に委ね、信じることができれば、手段は、医師にも他人にも問われる必要はない。「死ぬ」とは、そんなもののような気がする。連載を飾り続けた主題「私、死んでもいいですか」。その答えは、あなた自身が見つけなければならない。

※SAPIO2017年9月号