認知症×独居×担癌×他者を拒絶=デュロテップパッチの使用

昼も少しばかり更新です・・・・・

 

こんにちは、皆さんは服薬コンプライアンス悪い患者さんや認知症の患者さんへの服薬指導、どのような工夫をされているでしょうか。一般的な疾患の患者さんの内服薬はさておき、担癌患者さんに関しては服薬コンプライアンスが悪いと途端に在宅での安楽な生活が阻害されてしまいますのできちんと必要な薬は使用してもらうことが必須です。特に独居認知症の患者さんの場合は・・・・・・どうしましょうか?っていう場合ありますよね。

最近はそんな独居で認知症がベースにある担癌患者さん診察する機会増えてきています。他者を拒絶しない患者さんであれば1日1回の訪問看護+ヘルパーさんの夕訪問とかで1日2回の服薬可能ですのでオキシコンチン等も使用できます。場合によりフェントスに変更し1日1回の訪問で対応することもあります。

ただ他者を拒絶する患者さんの場合・・・・・・2,3日に1度しか訪問受け付けてくれないこともよくありますよね。そんなときは麻薬の投与に関しては今はあまり使わなくなったデュロテップパッチを使うとうまくいくこと結構あります。アバウトですが2,3日に1度受け入れてくれた時のみ交換する、といった使い方ですが毎日心配するよりよっぽどいいです。場合によっては土日は訪問看護師さんが服薬確認のためだけに訪問しないでもすみますし・・・デュロテップ、在宅では使い方工夫すればまだまだ使用価値あります。

認知症×独居×担癌×他者を拒絶=デュロテップパッチの使用を検討、と皆さんも何かあったときに思い出して参考にしてもらえればと思います。

 

2回目の更新では長尾先生のブログをご紹介します。いつもいつも正論を曲げずに直球で発言される先生のブログはとても勉強になりますね。皆さんも是非定期的に読んでみてください。

Dr和の町医者日記 「現役世代を使い潰す介護制度は完全に失敗している」 http://blog.drnagao.com/2017/08/post-5975.html

 

確かに介護保険の制度はつぎはぎのパッチをしながらみていくのは限界がきていますよね・・・・2018年度の改定を迎えてどうなるでしょうか・・・・・

 

 

 

 

外来開設にあたりご挨拶

8月のラスト1日、頑張りましょー

 

こんにちは、先日から当院のSWや外来の看護師さんが病院や施設さん、ケアマネさんやステーションさんに少しずつですが自分達でつくったチラシもちつつ挨拶に回ってもらっています。またチラシだけでもなく外来の紹介にあたりこんな感じでやりたいんだよーって紹介文、スタッフさんと相談してつくってそちらも持参しています。

以下にその外来案内文紹介したいと思います。

 

外来開設にあたりご挨拶

 

医療介護関係者の皆さんこんにちは、いまいホームケアクリニックの今井浩平です。

当院は2011年に開業して以来一貫して在宅医療の分野での医療活動を行って参りました。癌や認知症の患者さん、圧迫骨折後で動けない患者さん、社会的その他様々な理由で通院ができない患者さんを診察してきましたが、そのような患者さん以外にも通常の外来ではフォローしきれないけれど在宅医療の適応となるまでもないような、いわば制度の狭間にいる患者さんも多数みてきました。 

今回これまでの在宅医療に加え、この10月から移転したクリニックにて地域の全ての患者さんに対して開かれた外来診療を開始することを考えております。

“必要な医療を、必要な時に、必要な場所で提供する”ことをモットーに、通院できる方には複数の専門科にかからなくても済むような、かかりつけ医としての医療を提供し、その方が一時的に体調を崩した場合は外来からの往診と訪問看護を行います。必要に応じ入院医療機関を紹介することはありますが、ご自宅で対応できるような状態であれば入院せずに在宅での医療を外来からシームレスに提供したいと思います。もちろん通院が困難となった場合は定期的な訪問診療も行います。

また地域の患者さんの体調悪化時には連絡頂ければ往診で、できる限りの対応を行います。

 

認知症で入院できない、癌と診断され治療はできないけれどぎりぎりまで自宅で過ごしたい、他の医療機関にかかっているけれど体調が悪く病院に連れて行けない等、患者さんやご家族、医療介護機関の皆様が困った時に手助けができるそんな在宅医療をベースとした総合診療外来を行っていきたいと考えていますのでどうぞよろしくお願い申し上げます。

                                       20179月 吉日

 

 

 

外来診療時間 : 午前7時~午後2時(土日祝日休まず診療します)

外来診療内容 : 総合内科、認知症、在宅医療・緩和ケア

*困ったときには往診対応しますのでご連絡ください。      

 

 

 

 

とこんな感じです。正式な文章ではないので細かな気になるところは皆さんからみたらあるかも知れませんが、自分達の考えや気持ちがよくこもった紹介文じゃないかなって思っています。9月に入ったら自分もどんどんさらに活動量、範囲を増やしていきたいと思いまーす!!

 

さて本日の医療ニュースはこちらです。この問題もずっと議論が続いていますよね。問題良く理解するのにいい記事ですのでご確認ください。

JBPRESSより http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50848

認知症患者への胃ろうは百害あって一利なし

米国ではほとんど認められない治療がなぜ日本では推奨されるのか

看護師として、私は認知症の患者さんに胃ろうを造設するたびに、その意義について考えさせられる。

 

ある日、独居の80代の認知症患者さんが、誤嚥性肺炎を併発して入院してきた。加齢によって嚥下機能(食べ物や唾液を飲み込む機能)が落ちると、誤嚥(食べ物や唾液が誤って肺に入ること)が多くなる。時に、細菌が肺に入り込み、誤嚥性肺炎を発症する。

この患者さんは、認知機能と嚥下機能の低下によって、口から食べることが困難だった。入院中、再び食べられるようにと介入したが、効果は不十分だった。

ある時、この患者さんの内縁の妻という方が見舞いに来られた。「何としても治療して生きていたほしい」と言う。この患者さんに、血縁のある家族はいなかったが、どのような結末になるのだろう。

実際に、摂食が困難な患者さんの対応は3通りある。

1つ目は、経口摂取を継続したまま退院すること。多くはそのまま亡くなるが、訪問看護サービスによって適量の点滴を受けることもある。患者さんにとっては好ましい方法だが、家族の協力を要するため、独居の場合は難しい。

2つ目は、病院で亡くなるまで待つ。比較的長い経過となるため、急性期の病院では対応が難しい。

3つ目は、胃ろうを造設し、介護施設や慢性期の病院に移るケース。これは病院にとって都合が良い。胃ろう造設に関連した診療報酬を得られるうえ、早い退院でベッドの回転も高くなる。

内縁の妻の方は3つ目のケースを希望し、スタッフの間では「食べられないのは可哀そう」という意見が多く、胃ろうが造設された。

ところが、患者さんは「胃ろうとは何か」分からず、引いて抜こうとした。胃ろうを抜かないようにと拘束され、つなぎ服(自分で着脱できない服)を着せられた。

拘束をすると褥瘡ができやすくなる。拘束帯(拘束するバンド)から抜け出そうとする体動により、皮膚が擦れて褥瘡ができた。時折、患者さんが離床できるよう介入するが、それ以外の時間はベッドに拘束されるため、寝たきりとなる。

拘束をせずに、薬剤による鎮静(眠るような状態にさせること)をしたらよいとの意見があるが、効きすぎると誤嚥性肺炎のリスクが高まる。
●胃ろうの限界

そこまでして造設する胃ろうとは何だろうか。本当に有効なのだろうか。

確かに、胃ろうから栄養剤を投与すれば、経口摂取による誤嚥は防ぐことができる。しかしながら、万能ではない。嚥下機能が低下すると、唾液を誤嚥して、口腔内細菌による誤嚥性肺炎を発症するからだ。

加えて、胃ろうから栄養剤を投与しても、嘔吐は防げない。嘔吐をしないように、栄養剤の量や投与方法を調整しても、嘔吐を繰り返す人がいる。胃ろうを造っても、吐物の誤嚥による誤嚥性肺炎は避けられない。

この患者さんもそうだった。誤嚥性肺炎を繰り返した。そして、発症するたびに抗生剤を点滴した。しかし、本人は点滴の必要性を理解できずに自ら抜いてしまう行為を繰り返した。そのため、拘束が強化された。

誤嚥性肺炎を発症すると、頻繁に痰の吸引を要する。これは苦痛だ。処置の必要性を理解できず、苦痛を暴言や暴力で表現していたが、生命に関わるため無理にでも続けざるを得ない。

この患者さんは、本人の理解を超えた治療を受けながら、やがて慢性期の病院へ移って行った。

このような治療は、本人が望んでいることなのだろうか。胃ろうの必要性を理解することが難しい認知症患者さんに、胃ろうを造設することは本当に必要なのだろうか。
●胃ろうをつくらない選択、やめる選択

肺炎は日本人の死因の第3位で、その97%は65歳以上である。高齢者に起こる誤嚥性肺炎は、加齢による嚥下機能の低下が原因なので繰り返し発症してしまう。

日本呼吸器学会は、2017年4月に成人肺炎診療ガイドラインを改定し、肺炎を繰り返して衰弱した高齢者について、抗菌薬の使用などの積極的な治療を控え、苦しみを和らげるケアへ移行することを選択肢とした。

ただ、これを医療現場で実行するのは難しい。

目の前で苦しんでいる患者さんに対して治療行為を行わないことは、医療者としての精神的負担が大きい。多くの誤嚥性肺炎は、抗生剤の投与によっていったんは症状が改善するため、抗生剤を控える線引きが難しい。

胃ろう造設についても同様だ。

一時的に良い状態となる可能性があるため、線引きがやはり難しいのだ。2012年に日本老年医学会が発表した「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン」には、胃ろうを含む諸選択は、本人にとって最善のものとすると記されているが、導入や中止についての判断基準はなく、訴訟のリスクを抱える難しさもある。

また、多くの医師・看護師は、「善意」で胃ろうを造設している。摂食が難しくなった患者さんに対して、「食べられないから、胃ろうを考えないと可哀そう」「餓死は可哀そうだから、胃ろうをしてあげないと」と言う医療者は多い。

「善意」の存在が、この問題をややこしくしている。
●胃ろうをめぐる“大人の都合”

胃ろう造設には、時に“大人の都合”も絡んでくる。例えば、家族が患者の年金収入で生活している場合、患者が亡くなってしまうと生活が立ち行かなくなる。そのため、延命を望まざるを得ない。

日本ではリビングウィルに法的な拘束力がなく、本人が緩和ケアを希望していても、家族が治療を希望すれば延命治療をせざるを得ない。

病院側の都合もある。実は、胃ろう造設は病院の収益になる。胃ろう造設術の診療報酬は、1998年の6400点(6万4000円)から徐々に増え続け、2012年には1万70点(10万700円)となった*1)。

2014年の改定では、胃ろうの是非が見直され、胃ろう造設術の診療報酬が6070点(6万700円)に引き下げられたが、胃ろう造設時嚥下機能評価加算2500点(2万5000円)が新設された*2)。

胃ろう造設時、胃ろう造設時嚥下機能評価加算2500点(2万5000円)、嚥下機能検査の点数600点(6000円)の加算を加味すると、総点数は9170点(9万1700円)であり、実質的な収益は変わらない*2)。

加えて、胃ろうチューブの定期的な交換費用も病院に入る。胃ろうチューブは、4~6か月ごとの交換を要し*3)、1回の交換で200点(2万円)の診療報酬が得られる*4)。

対して、経鼻栄養(鼻からチューブを入れて胃まで通し、栄養剤を注入する)の診療報酬は、1日60点(600円)と少ない*4)。胃ろうからの投与でも同様の点数を算定できるため、急性期の病院では、胃ろうを造設して、胃ろうからから投与をした方が利益を得られる。

胃ろう造設術と胃ろうカテーテル交換の施行件数は、毎年6月に調査されている。胃ろう造設術は、2011年の約7000件から2014年には約4500件と大幅に減少した。しかし、その間の胃ろうカテーテル交換件数には大きな変化がなく、約3万件で経過している*5)。
●認知症患者への“無理な”胃ろうはやめよう

胃ろうには、様々な関係者の思惑が関与するため、難しい問題となっている。私は、今こそ、患者さんを中心に考えるべきだと思う。

誤解を怖れずに書くが、私は、進行した認知症患者さんへの“無理な”胃ろう造設に反対である。

それは、前述したように、胃ろう造設が、進行した認知症患者さんのQOLを改善していると思えないからだ。QOLを改善しなくても、寿命が伸びればいいと考える人もいる。

ところが、進行した認知症患者さんに対する胃ろう造設には、延命効果がないことが明らかになっている*5)。つまり進行した認知症患者さんへの胃ろう造設はメリットが見い出せないのである。

では、どうすればいいのだろうか。私は、尊厳を持って残された時間を生きることができるように、サポートするべきだと思う。

誤嚥性肺炎を繰り返すと、誤嚥による苦しさから徐々に食事を拒否するようになる。実際に、私が関わった方の中には、誤嚥による苦しさから徐々に食事量や飲水量が減り、尿量も少しずつ減り、眠るように穏やかに亡くなった方がいる。

その時家族は、本人の寿命を受け入れ、DNAR(心肺蘇生をしないこと)に同意していた。そして、スタッフの意向も家族と同じであり、本人と家族がゆっくり過ごせる環境をつくった。

日本では尊厳死を認める法律はないが、「食事を拒否する」「医療的介入に拒否を示す」などの行動は、たとえ認知症を発症している状態であっても、十分な意思表示と取れる。それならば、自然の経過を受け入れる権利はあるだろう。

しかし、現在の日本では、認知症によって治療の内容や必要性を理解できず、自らの意思表示をできない状態であっても、積極的な治療が適用される。なぜなら、患者さんに対して「全力」で治療を行うというのが、これまでの医療者への教育だったからだ。

患者さんに対して最善の治療を行おうと努力するのが、旧来の日本人医療者の姿勢であり、その結果、積極的な治療が選択されやすい。

一方、米国で勤務した経験のある医師は「センシティブな問題ですが、米国では、今回のように患者の意志が確認できない場合、医療の必要性は社会的な常識に従いは医師が判断するのが普通です」と言う。

医師の自律が認められており、不必要な治療は“Futile medical care(役に立たない治療)”とされる。

ウィキペディアの”Futile medical care”をご覧いただければ、米国では、どのような議論が積み重ねてきたかが分かる。私は、高度の認知症患者に対する胃ろう造設は”Futile medical care”だと考える。

成熟した個人主義とはかけ離れた日本人の特性から、“Futile medical care”が浸透しにくく、また、医療者の「善意」、経営や訴訟回避のために、終末期における延命がなされやすい。

進行した認知症患者さんの誤嚥性肺炎に対する胃ろう造設は、介護を担当する者として、そのあり方を考え直す時期が来ていると思う。

 

 

 

今日の記事、本当にゆっくりみて各々考えてみてみてください。自分もよく考えたいと思います・・・・・

医者は薬屋さんではありません

そろそろレセプトの時期が近付いていますね・・・・

 

こんにちは、先日とある患者さんの訪問をしている時に、ご家族の一人が頭痛やめまいや吐き気などの不定愁訴のような訴えでクリニックを転々としているので診てくれませんか?と言われました。確かにめまいや頭痛がひどくたつのもつらいような印象・・・時間割いてよくよく話を聞いているとやっぱり介護もそうですが仕事のストレスが高いのが不定愁訴のようなつらさに結びついているのかなぁ思えました。これまで受診したクリニックでも結局原因がわからず様子みましょうとのことで対症療法的な薬がだされていました。

自分からは、①大きな職場でもあるので産業医の先生にまずは相談してみては②体調に関しては規則正しい生活をして少しでもいいので気分転換をはかるようにしましょう③睡眠は意識して時間を決めてとるようにしてしっかりと6~7時間は確保しましょう④帰宅後の介護は場合によってはヘルパーさんの導入などを検討していきましょう。などなどをお伝えしました。

基本的には上記のようなアドバイスだけで薬はだしませんでした。これらのアドバイスって当たり前のことを言っているだけですがやっぱり患者さんにとっては医師や第三者から言われると改めて自戒しようと思ってくれるはずだと自分は考えています。だきるだけ薬はださないで対応できることは、医師のアドバイスなりマッサージなり生活指導なりで対応できたらいいなと思います。

特に最近の紹介患者さんの服用している薬の量をみると、医療機関での治療=薬の処方と漫然となっているのではないかとの考えがどんどん強くなっていきます。医者は薬屋さんではありません、医師の仕事の本質は薬の処方やガイドラインの説明以外にあると考え日々の診療再度頑張っていきたいと思います。

 

さて本日の医療記事はこちらです。AIが診断技術の一要因として必須となるのはそう遠くないですが、医師の仕事は絶対なくならないでしょう。診断し投薬する、治療方針をガイドラインに沿って決める以上の仕事が医師にはあると思っています。患者さんと一緒になって考えてあげること、それはAIにはできないですよね・・・・・

MRICより http://medg.jp/mt/?p=7797

Vol.181 電子技術という怪物―人工知能による人間社会の変容

医療ガバナンス学会

元がん患者
清郷伸人

2017年8月30日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

この原稿は、いつものように筆者の主観を述べたものである。まったく非社会科学的で主張の根拠や証拠はない。あえていえば筆者の過去のすべての見聞に立脚しているが、特定はできないということである。したがって独断と偏見のそしりは免れないと覚悟している。ただ筆者とすれば独断の仮説が将来証明されず、誤ることを祈るのみである。最近のAI(人工知能)をはじめとする電子技術の進歩、発展は目覚ましい。宇宙、軍事分野や自動車などの設計・製造、シンクタンクのデータ分析、テロ犯・犯罪者の顔認識や医療への応用などから囲碁将棋や対話ロボットに至るまで今までの常識では収まらない現実が生まれている。さらにインターネットやSNSの広がりは今までは不可能だった知識や情報の共有を瞬く間に実現している。

しかし、筆者がここで問題にしたいのは、その科学技術が人間にもたらす価値についてである。人間社会に大きなメリットをもたらした電子技術だが、それが何を生み出し、どこに行き着くのか、それは人間にとっていかなるものであるのかということである。

そもそも電子技術は人間の様々な能力の補完であった。桁違いの速さ、大きさを誇る計算力、記憶力によって人間から指示された問題を解決し、人間をサポートした。しかし、電子技術の発達はその機能が人間にとって代わるところまで来た。人間は進化する電子技術を駆使し、その万能性を知悉したことから次々と技術へのニーズが高まっていった。そしてそれらがことごとく実現したことで電子技術に自らの思考や行動を依存するようになってきた。著しい進化を見せるAIはその具現化である。

人間の科学技術によってAIの能力は目覚ましく広がり、深まっている。AIに膨大なデータを学ばせることで人間を超える思考能力(評価や判断能力)にも達しうることがわかった。身近な例では、自動車運転や社会データの分析・評価、医療データ(CTやMRIなど)の診断、テロ犯、強盗・万引き犯の予防的顔認識、囲碁将棋対戦がある。さらに癒し系の対話ロボットも話題になっている。しかし、人間の欲求と科学技術の可能性を考えると、これで留まるとは思えない。

電子技術による戦争の恐ろしさは、安全で快適な部屋からコンピュータ操作だけで、ピンポイント空爆、無人機爆撃から核攻撃まで可能であり、しかも大勢の人間を殺しているという感覚はなくゲームのバーチャルリアリティに近いと思われることにある。ナチスのホロコーストも冷徹な官僚的感覚で効率よく家畜を屠殺するように為されたが、電子技術はそれ以上に無感覚である。いわば電子技術は具象の戦争行為を抽象化してしまうのである。それは事物の人間化から機械化への飛躍である。戦争そのものをなくすことは難しいとすると、このような戦争が人類に何をもたらすだろうか。可能性を広げる宇宙技術も宇宙の解明だけなら問題ないが、必ず宇宙の利用、開発まで行く。そこで何が起こるかわからない。現在の地球がたどっているような自然破壊が起こるかもしれない。

軍事や宇宙分野以上にわれわれの身近で進んでいる電子技術に自動車の自動操縦や対話ロボットがある。不安定な人間からAIに運転を任せれば省力化、交通安全、渋滞回避、燃費改善などメリットは多い。ただ人間は代わりに運転能力を失い、運転の醍醐味を捨てることになる。またかわいらしい対話型ロボットはさらに進化し、人間とほとんど変わらなくなるだろう。何が起こるか。独居の人はもう他人が要らなくなるだろう。煩わしく、御しがたい生身の人間より従順で安全なロボットに親しむだろう。

またさらに身近なわれわれの家事や通信分野にもAI化の勢いはすさまじい。われわれの便利さ、快適さへの欲求は留まることを知らず、電子技術もそれに応えているからである。
その根底にあるものは労働や辛苦、困難を回避したい意思である。あるいは人生や生活を金で買えるものでもっと楽しみたい、幸福になりたいという欲求である。それは自然なものに思えるが、AIにその達成を委ねているのであり、その行き着く先は人間の退化というものではないだろうか。

電子技術のなかった昔の家事は多大な労働と辛苦、困難を伴ったが、不幸ではなかった。家族の幸福を喜びとする愛に貫かれていたからだ。生活を支える仕事も同じである。好きな仕事に就ける人は少数で、大部分は生活のために働いた。しかし家族を食べさせ、社会の役に立つ喜びがあった。かれらの能力も意思も健全で退化はしなかった。いつの世でも、労働、辛苦、困難の中にかけがえのない価値はあり、幸福の鍵は潜んでいる。

その逆説的真実が現実となった例がある。財政破綻によって大きな病院が消え、医師が激減した夕張市民の健康データが予想に反してすべて向上したのである。現在の乏しい困難な状態を受け入れ、他を頼ることなく自らの意志で自分の健康と生活を律するという健全な自然的本能が働いた結果である。

一方、医療の世界でもAIの導入によるパラダイムシフトが視野に入っている。例えばAIによるCTやMRIなどの医療データの診断がきわめて正確だということである。膨大な医療データと疾病の情報をAIに記憶させれば、それは当然であろう。同じ意味で、AIは医師国家試験でもほぼ満点を取るだろう。診断が正確なら、あらゆる治療情報を記憶させることで最善の治療指示も可能となる。手術もロボットのダ・ビンチが進化すれば、きわめて高難度のもの以外の手術はAIに任せられる。

では大部分の医師は要らなくなるか。答えは否である。医学研究や予防医学、感染症パンデミックなどAIに対応できないと思われる分野もあるが、日常の臨床でも人間は医師の存在を求めていると思う。AIは病気を診ても病人は見ない。たしかにパソコンばかり見て患者を見ない医師もたくさんいるが、患者は自分の話を聞いてもらいたいのである。なぜならそこに自分にしかわからない訴えがあり、それを人間である医師に理解してもらい、診断してもらいたいからである。実際、臨床現場ではエビデンスベースだけではなく、多様で多面的な患者のナラティブをもベースとする医療が求められている。極言すれば、どれほどAIによる医療を受けても人間は老齢による衰えは防げず、いずれ死ぬ。多少の間違いはあっても最期まで医師に看取られることを人間は望むのではなかろうか。だからAIの進化によって患者の状態や情報を理解する医師が少なくなっていく将来は最悪なのである。

AIの進化がもたらす世界にはもっと恐ろしい可能性を予想させるものがある。生殖や
育児のAI化である。それらのAI化とは、生物的自然から離れ、人工的な技術によって人間がそれらをデザインすることを指す。すべての遺伝子が解読され、神の領域だった宿命が既知化されれば、次はゲノム編集への意思がやってくる。生殖を人間の欲望や社会の要望のために人工的に操る科学技術は、黙っていれば自律的に進むであろう。人口減少対策や先天的障害防止やデザイナーベビー希求などのニーズを前に、人間の倫理的意志は科学技術への情熱に立ち向かえるだろうか。

生殖のAI化が始まれば、育児もAIによってデザインされるのは自然の流れである。最も優れた育児法がAIのデータ分析によって評価され、マニュアル化される。もしかするとそれは集団保育となるかもしれない。そして子供たちが成長して進学や進路を決める時もベストの判断をAIに仰ぐかもしれない。さらにはベストの配偶者もAIに選んでもらうかもしれない。今のわれわれが当たり前と思っている個々人の資質や能力からではない将来の夢や目標、自分が選んだ恋人や配偶者というものが無用になってくる。夢に向かって努力したが、打ち砕かれ挫折するという経験も、恋に悩み、配偶者に苦しむ人生もなくなる。無駄のないスムーズな世界―そのとき人間は生きることをどう考えるのだろう。

そのような光景はどこかで見たような気がする。1世紀近く前に作家のA・ハクスリーやG・オーウェルが描いた世界である。電子技術がついに空想の産物だったAIにたどり着いた現在、かれらの進みすぎた科学技術への怖れと警告は決して空想のものではない。

第2次世界大戦後コンピュータを発明した科学者は、AIの出現まで予見したそうである。しかし、それが最後にはフランケンシュタインになるかもしれないとは考えなかった。当時の科学者は、技術の可能性の追求を使命としており、その倫理的・社会的側面を考える役割はないからである。ナチスが滅びても科学者は核兵器競争に走った。その結果、核抑止力という人類滅亡の愚劣な袋小路に陥ったことが象徴している。

一方、優れた文学者や哲学者は人間性の危機に敏感なものである。わずかな世界の変化に危機の予兆を感ずる。どんなに科学技術が進み、AIが人間社会に浸透していっても、人間であること、人間性を見つめ続ける原点に揺るぎがないため人間の危機、世界の変化を感じ取れるのである。人間性の萌芽期である乳幼児の頭脳が外的世界からの模倣・学習の過程でどんな神秘な創造の働きをするか、そして人格を形成していくかは神の領域としかいいようがない。優れた文学者や哲学者はそういう個々人の人間性への畏敬の念を決して手放さない。

電子技術がAIという究極の技術に到達する前に可能であったものに、情報アクセスとコミュニケーションに革命をもたらしたインターネットがある。インターネットもその万能性ゆえに増大するニーズに技術が次々に応えてきた結果、人間は座っているだけで世界と即時に大量につながることが可能となった。その利便性は多くの人にとってかけがえのない貴重なものである。しかし、それによって人間の知性が高まったと勘違いしてはならない。

インターネットは発信者の言葉や思想がすぐ拡散するため人々を動かし、世界を変革する強力な武器と思われている。しかし、これまで各地で見られた運動は一時的に盛り上がったが結局萎んでしまう。安易に届いた言葉では人間の魂までは動かせないからだ。これは変革を訴える政治的主張もツイッターやブログなどのSNSによる各人のコミュニケーションも同じである。その時々で大きな波紋を投げるが、泡と消えてしまう。言葉とコミュニケーションを消費しているだけである。知性とは何の縁もない。

人間の知性が高まるには長い時間と辛苦を要するのである。過去の革命は個人が生活も魂もすべて傾けて小さなところから始めた行動が、人々の魂を動かし時代を揺さぶったものである。コミュニケーションさえ命がけだった。また過去の学問、芸術など人間の知性の結晶はすべて手仕事である。魂が刻んだとしかいいようのない作品を遺している。だから受け手であるわれわれの魂に響くのである。

インターネットがもたらしたものは、自動車の出現によって人間の移動が格段に便利になったと同じ次元のことであり、道具が進化しただけで、人間の本質には関わらないのである。故郷を一歩も出ず、星をながめて思索したカントとわれわれは同じ人間である。

 

さて今日も一日頑張っていきましょう・・・・

 

在宅×救急

朝から北朝鮮のミサイルが頭上を越えてったみたいですね・・・・・

 

こんにちは、本日午前は久しぶりに救急車に同乗、○○病院まで患者さんの搬送についていきました。100歳近い年齢とはいえこれまで何度も不死鳥のごとく病気に勝ってきた患者さん・・・・厳しい戦いですが是非良くなって帰ってきてほしいと思います。年齢だけで言えば積極的な治療は対象外と思われるかもしれませんがご家族は患者さんの体力に賭けたいとのこと、救急で救える命はどこまででどこまでの医療処置を行うのか・・・・その見極めは非常に難しいですが今回は救命の方向性にかけたいと思いました。在宅×救急の判断基準今後も問題となっていくでしょうね・・・・

患者さん一人一人考えや状況は違うと思いますので、急変=看取りと短絡的に考えずに本人や家族の意見を尊重した意思決定をこれからも一緒に考えながらやっていきたいと思います。

 

さて本日の医療ニュースはこちらです。看護師さん不足は北海道でそうですが・・・訪問看護師さんはいつ充足しますかね?

AREA dotより

看護師不足が医師不足よりも深刻な理由

https://dot.asahi.com/dot/2017082300035.html

東京を中心に首都圏には多くの医学部があるにもかかわらず、医師不足が続いている。だが、現役の医師であり、東京大学医科学研究所を経て医療ガバナンス研究所を主宰する上昌広氏は、著書『病院は東京から破綻する』で、深刻な看護師不足の現状についても明かしている。その解決策とは。

*  *  *
高齢化が進む日本で、看護師不足対策は喫緊の課題です。ところが、その解決は医師不足以上に困難です。看護師の多くが女性であり、他の地域からの移住が期待できないからです。多くの看護師は、地元の学校を卒業し、地元に就職します。結婚して家庭を持つと、看護師不足の地域で働くための「単身赴任」は難しくなります。看護師不足を緩和するには、看護師の労働条件を改善するとともに、地元での育成数を増やすべきです。

海外から看護師を受け入れることも原理的には可能ですが、現実的ではありません。日本語という言語の壁があります。また、多くの新興国では看護師の社会的な地位は高いため、日本に来るインセンティブがないのです。

労働条件の改善については、さまざまな対策が採られ、成果が上がりつつあります。日本看護協会によれば、新卒看護師の離職率は7.5%(14年度)。大卒の新入社員の約3割が入社後3年間で辞めるとされる中、看護師の離職率は飛び抜けて高いわけではありません。

人口あたりの看護師の数は、人口あたりの看護師養成数に比例します。看護師が不足しているのは、地元での看護師養成数が少ないからです。首都圏の看護師を増やすには、地道に育成するしかありません。看護師養成数にも、地域間格差があります。12年現在、人口10万人あたりの看護師養成数は西日本が80人程度であるのに対し、関東は約40人に過ぎません。看護師数と同じく、養成数も2倍程度の差があるのです。この「西高東低」の格差は、日本の近代化を反映しています。明治以降、病院や医師会が中心となって、看護師を養成してきましたが、医師の数や医学部数は前述したように「西高東低」だからです。

看護師不足解消のため、平成以降、政府は看護師養成数を年間約4万人から6万人に増やしました。大学看護学部が急増しています。1989年には看護系学部があったのは11大学(関東に5大学)でしたが、2016年末現在で254大学(関東に73大学)に増えています。一方、専門学校の定員はむしろ減少傾向を示しています。平成以降の看護師養成数の増加は、ほぼ看護大学によると言っても過言ではありません。しかし、看護師を育成しても、急増する患者ニーズに応えることは困難です。

看護師が多いとされる九州と四国で、看護師の有効求人倍率は1~2倍程度。つまり、最も看護師数の多い地域でも、看護師は足りていません。関西より東では看護師の有効求人倍率は2~5倍です。

首都圏の看護師養成数を九州や四国並みに増やそうとすれば、さらに1万7000人、看護師養成数を増やさねばなりません。東京だけでも5000人です。震災復興や東京五輪を控え、人手不足が深刻な建設業よりも、看護師の人手不足は深刻です。

■急増する看護学部が希望か

では、どうすればいいのでしょう。私は、市場はニーズがあれば、必ず成長すると考えています。この10年間で看護学部の定員が倍増しましたが、志望者数は3倍に増え、定員割れは起こしていません。

大学経営者にとってありがたい活況です。看護学部は、医学部のように新設に対する規制がなく、事業者が看護学部設立を望めば、基本的に認められます。課題は教員の確保です。看護師の多い九州地区ですら、看護大学の教員確保は難しく、年収1000万円以上が珍しくないと言います。博士号を取っても就職先がない「ポスドク問題」とは対照的です。

少子化が進み、大学経営が冬の時代を迎えた昨今、看護学部設立は大学経営者にとっても、教員にとっても魅力的です。東京や京都など、私立大学が多い地域では、私大がリードして看護師の養成数を増やしています。15 年4月には、関西の名門同志社女子大学も看護学部看護学科を開設しました。

ただし、看護師不足が深刻な千葉県・埼玉県・神奈川県は、看護学部を作ろうにも、設立母体となる大学自体が多くありません。既存の私立大学が看護学部を開設するのを待っているだけでは、首都圏の看護師不足は緩和されそうにありません。私立大学の看護学部の授業料は決して安くなく、初年度納付金が200万円を超える大学も珍しくありません。それでも看護学部で学びたいという高校生は跡を絶ちません。

なぜ、多くの高校生が看護学部を目指すのでしょうか。もちろん、看護師職にやりがいがあり、患者を支える「聖職」であることは大きいでしょう。最も大きな理由は、業務独占の国家資格であるため、看護師不足の昨今、食うには困らないということでしょう。給与も高く、14年の平均年収は473万円で、サラリーマンの平均年収(415万円)を上回ります。ある大手予備校の講師は「医学部や薬学部と比べて、看護学部の偏差値は低い。40台の学校も珍しくない。それでも卒業して、国家資格を取れば、高給が保証されている。こんな仕事はほかにはない」と言います。

かつて「3K」といわれた職業もずいぶんと変わったものです。看護大学の人気を考えれば、偏差値も急速に上昇するでしょう。その過程で混乱が生じることも予想されます。今後、教育の質を担保しながら、さらに看護師養成数を増やす必要があります。

 

 

あっという間に仕事の時間ですので出発してきます・・・・・

ベット柵の使用=身体拘束

時間をみつけて更新です・・・

 

こんにちは、患者さんがデイから帰ってくるまでの30分弱・・・時間が空いてしまったので近くのアイス屋さんに看護師さん2人と一緒に行ってきました。

↓西野までちょびっと足伸ばしています

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↓ナッツが入ったジェラートですが美味しかったです

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さて先日とある特定施設で患者さんのケアについて話をしていました。ADLが落ちてきている癌の患者さんで褥瘡予防のためにエアマットの使用が望ましい状態・・・・・そこで施設にあるエアマット使いませんか?と話をしたら「せん妄のある患者さんでは使用できません」とのこと。よくよく話を聞くとエアマットに併用するベット柵を使用すると身体拘束となってしまうため法律違反。手すりなしならエアマット使ってもいいですがこの患者さん落ちちゃいますよ、と。うーん・・・・確かにベット柵って身体拘束とみなされるかもしれませが家族の方に説明してもだめですか、と聞いたんですが施設として難しいですと・・・どうしたらいいんじゃい・・・・・と言っても仕方ないので施設のケアワーカーさんには悪いんですが泣く泣く人力で体位交換してもらうことにしました。

居宅の患者さんには問題なく使っているベット柵、施設に入るとそれだけでベット柵の使用=身体拘束とみなされて使用できないっておかしいと思いませんか?明らかに患者さんの不利益になっていることあると思います。現場では原理原則だけでは解決しないこと結構あるはずです、実際の法律の運用ももっと肌感覚に近いかたちになってくれるといいですね・・・・、と個人的には思いましたが皆さんはどう考えますか?

 

さて本日のさらに気になる医療ニュースはこちらです。この記事の内容すごいいいですね。特にいいと思ったところ赤文字にしていますので是非一読してみてください。

m3.comより

「入院から在宅」コストではなく尊厳の問題―田中滋・地域包括ケア研究会座長に聞く◆Vol.4 https://www.m3.com/news/iryoishin/550175

――一地域包括ケアシステムを説明する「植木鉢図」が一つ一つの家庭、利用者だとすると、個別事例はこれまでもたくさんあったと思いますが、地域包括ケアシステムができていると言えるのでしょうか。

ある「個別包括ケア」ができている状態と、地域包括ケアシステムができている地域では話の次元が違います。優れた医師やナース、あるいはケアマネジャーや福祉職によって、これまでもたくさんの優れた「個別包括ケア」は行われてきました。ただ、荒れた土地でも花が咲く可能性はありますが、それでは超高齢期全体を視野に入れた戦略とは言えません。きちんと耕して肥料をまけばもっと多くの花が咲くでしょう。そのためのプラットフォーム作りが、地域包括ケアシステムなのです。

――似た言葉として「地域医療構想」があります。両者の関係を教えてください。

 両輪の関係です。地域医療構想は退院後の生活を考えるためにも病床機能の分化を提唱しており、地域包括ケアシステムが存在しないところでは、地域の急性期病床や回復期病床の数も決まらないはずです。地域包括ケアを考える時にも、急性期対応をどこがしてくれるかを考える筋立てが不可欠です。

高齢者の多くは入院、在宅、施設を循環的に回るので、体制構築に当たってはセットにして議論しないと話が進みません。一方で、繰り返しになりますが、地域包括ケアシステムはプラットフォームであり、医療・介護と関わらない保育や障害者福祉なども「花」としてはあり得ます。

――「入院から在宅へ」という流れは、国にとって医療費抑制という意図もあるかと思います。地域包括ケアシステムで医療費は抑制できるのでしょうか。

 全然関係ない話です。病床数を20万床削減し、入院医療から在宅医療と介護に移れば、診療報酬点数を変えない限り、入院医療費は減り得ますが、急性期病院機能を守るためには単価を高くしなくてはならないかもしれません。政策の細かい設計を考えない乱暴な予測にどのような意味があるのでしょう。

――医療費と介護費のセットでは減るのでしょうか。

それぞれの単価の将来が決まっていないので、全く分かりません。

――では、入院から在宅への移行はどのような意味があるのでしょう。

 それは人々の生活の尊厳です。病院は施設です。施設の定義は上位目的があって、そのために生活を犠牲にするところです。刑務所の上位目的は矯正で、そのためにプライバシーもなく、自由もない。子供で言えば、林間学校は施設ですが、集団生活の規律を学ぶ上位目的があります。医療においては、入院は救命や治療などの上位目的があるため、プライバシーや自由を一定程度我慢するのは当然です。

 しかし、原則として、尊厳を満たすためには、人は自分の好きな生活を送る自由を持つべきです。医療ニーズはさほどないのに単にケアが必要だから入院する、では本人の尊厳を保てない。在宅への移行はそのためであって、コスト削減策ゆえ、とは考えていません。

――在院日数を短縮する施策の影響もあり、退院先を探すのに困っているという声も聞きます。

その課題の多くは病院の日頃の経営レベルの問題として捉えられます。経営者たるもの、院内完結の時代ではない以上、普段から地域づくり、せめて関係性作りをしなくてはなりません。例えば済生会熊本病院は、連携する後方病院・施設との関係性を重視し、何年間も一緒に勉強会をしています。そうした計画や実践を伴わず、単に「送り先がなくて困る」、では経営者、地域の先導者とは言い難い。もちろん、そのように面倒な社会的課題は自分は得意ではない、そうではなく現場医療に尽くす人生を選ぶ、と宣言する医師も心から尊重しますが。

地域包括ケアシステム、地域医療構想においては、どの病院、施設、事業所も、比喩で表せば一連の工程の一部を担っているのであり、急性期医療が単独で存在しているように考えてはいけません。TOYOTAは一社で存在するのではなく、関連会社を世界的企業にする応援を行い、連携体制を作っているから強いのです。

大きい病院の経営陣こそ、地域包括ケアシステムを作らなくてはなりません。現場医療しかできない人は経営者であるべきではない。病院の周りの環境を作る努力も経営陣の責務です。地域で信頼されるには、地域包括ケアシステムを理解し、仕組み作りを手伝い、院内で高齢者ケア、障害者ケアがどのようなものかを理解させていくべき時代ではないでしょうか。

――先生が座長を務める「地域包括ケア研究会」はもうすぐ10年目になります。この間の変化をどのようにご覧になっていますか。

2014年にできた医療介護総合確保促進法の第1条には「地域包括ケアシステムの構築」とあります。国策として推進されてきた最近の趨勢もあり、自治体でも地域包括ケアを担当する部署も100の単位で増えてきました。国の全ての厚生局に地域包括ケア推進課もできました。 地域特性に応じた仕組みも多く作られており、厚生労働省のウェブサイトや研究会の報告書で優れた事例が紹介されています。

 

 

という訳で自分も同じ意見ですが在宅医療への移行=医療費の削減、では全くありません。むしろ高コストとなることもあるでしょう。それより重要なのは個人の尊厳や自由を病気になったといっても尊重してあげること、ではないでしょうか。皆さんもそう思いませんか・・・・・

海外での医療活動に興味がある、短期留学してみたい、もしくはサバティカル前提で働きたいっていう医師の方いませんか?

今日は早朝更新です・・・・

 

こんにちは、医師募集用のHPですがここ最近変更しようかなと思っていました。理由は色々あるんですが今回の理由はずばり”海外での医療活動に興味のある医師で、かつ総合診療医として診察したい医師の募集”でした。元々自分も海外でのボランタリーな医療活動などやってみたいなとは思っていたのですが、なかなか常勤しながら1~3ヶ月や半年行くのは難しいですよね・・・・

海外での医療活動に興味がある、短期留学してみたい、もしくはサバティカル前提で働きたいっていう医師の方いませんか?(1年の中で中期休暇希望の方も可)いたら是非応援したいですし実際どのようにやっていけるのか一緒に考えてみたいと思います。10月にHP変更したらそのような募集もするつもりですが、日本国内での医療と海外での医療と、両立するシステム考えてみたい医師の方、やってみたいなと思う方いたらご連絡ください。

その手段ですか?・・・希望の医師がいたら何を希望するのか、どうしたらできるのかを一緒に考えながら0からシステムをつくりあげたいと思っています。

「そんなん無理でしょ」とか思っていたら何も進みませんよね、医師にとってもやりたいことができるクリニックにしたいと思いますので興味ある医師いましたらご連絡ください。

ひとまずの医師採用についてはこちらもご覧ください →  http://www.imai-hcc.com/recruit

さて本日の医療ニュースはこちらです。かかりつけ薬剤師さんの話ですね。地域の中で生きる薬剤師さん、本当にその役割がどうなるのかこの3,4年が勝負の時ではないかと個人的には思いますが皆さんはどう考えますか?その期間で薬剤師の役割をきちんと定義して、かつ他職種に理解してもらえなかったら2025、30年に向けての活躍のフィールドは狭くなってしまうと思います・・・・

 

ミクス on lineより

厚労省・宮本医薬局長 適正使用推進へかかりつけ薬剤師が職能発揮を https://www.mixonline.jp/Article/tabid/55/artid/57874/Default.aspx

厚生労働省医薬・生活衛生局の宮本真司局長は本誌取材に対し、ポリファーマシーや残薬などの課題への対策として、「まずは薬剤師・薬局の機能を強化しなければならない」と述べた。高齢化が進展する中で、薬剤師が地域で「医薬品の高度な知識を持った専門家」として職能を発揮することが、適正使用推進のカギになるとの考えを示した。宮本局長は、薬剤師がかかりつけ機能を発揮し、患者から信頼され、”一対一の関係”を築くことの重要性を強調。医療現場が地域包括ケアシステム構築へと動く中で、患者や地域の声を代弁し、医療・介護・福祉のプレイヤーと連携する存在となることで存在価値が高まるとの考えを示した。一方で、社会からの薬剤師への要請がある中にあって、地域で職能を発揮できなければ、薬剤師の存在感そのものが薄れることへの危機感も示した。

8月25日限定で無料公開(それ以降は、プレミア会員向け)で、こちらからインタビュー記事全文をダウンロードできます。ミクス9月号(9月1日発売予定)にも掲載します。
◎薬剤師が「社会から強く認識されなければならない時期に来ている」

宮本局長は適正使用の方策として、医薬品の承認や最適使用の周知徹底、流通などの方策があるとした上で、薬剤師の果たす職能の重要性を指摘した。その上で、「その役割を十分発揮できていないのではないか。活躍できる場は十分用意されているし、社会環境から見ても薬剤師・薬局の存在をもっと社会から強く認識されなければならない時期に来ている」と述べた。2016年度診療報酬改定では、かかりつけ薬剤師指導料が新設された。宮本局長は、薬剤師が地域でかかりつけ機能を発揮することで、「服薬状況や疾患管理はもちろん、それ以外の介護や福祉のニーズを把握することもできる」と述べた。

「医療が必要ない時に、気軽に健康や疾患について相談できる窓口のような存在」となることで、医療だけでなく、介護や福祉の世界でも存在価値が高まると見通した。医療の立場からは、医療供給が十分でない地域では、多職種連携の中で「医師法などを踏まえた上で、職能の境目に落ちる業務について薬剤師が一歩前に出ることも可能だと考えている」と述べた。

一方で、東北厚生局長を務めていた自身の経験から、地域医療の中で薬剤師が活躍する姿を見る機会が少なかったと振り返り、「仮に薬剤師がいなくても、地域医療が回ってしまうとなってしまうと、存在価値が薄れ、さらには存在感そのものがなくなるという負のスパイラルに陥ってしまう」と危機感を示した。その上で、「薬剤師・薬局が地域の中に出ていく努力をしていただきたいし、局としてもその支援に取り組む」考えを示した。


◎革新的新薬の審査 安全性の確保が最重要課題

革新的新薬や人工知能(AI)やゲノム医療など、新たな革新的技術が医療分野に参入する中で、規制を司る局として、「安全性の確保を最重要課題としている」ことも明らかにした。医薬品については、最適使用推進ガイドラインについて、「最新の医薬品の恩恵を受けることが期待される患者を特定し、副作用を発現した際に必要な対応を迅速にとることができる施設で使用することで、最適な使用法を示す意味がある」と説明。評価する医薬局やPMDAに加え、薬剤師にも積極的に「最適な使用の一端を担っていただきたい」と述べた。

AIについては、現時点では医療精度の向上などが期待できる一方で、あくまで医師や薬剤師の判断を支援するものにすぎないとの見方を示した。その上で、技術革新のスピードが増す中で、医療の世界からは全く想像できない技術が登場する可能性を指摘。「治療成績の向上など医療の質や患者のQOL向上が見込めるのであれば、導入を拒むことはできない」とした上で、「技術を評価できなくて、審査が遅れるということはあってはならないことだ」と述べた。そのため、審査に携わる人材の育成や、日米欧の規制当局やアカデミア、製薬企業との情報共有が重要との考えを示した。製薬企業とも官民対話などのような幹部同士の意見交換だけでなく、「レベルに応じた階段状の意見交換の場を持ちたいと考えている」と述べた。

 

 

 

 

 

グチっぽい話

今日は往診往診で合間に更新です・・・・

 

こんにちは、訪問看護師さんには毎日患者うさんのケアでお世話になっています。患者さん宅を訪問する頻度も医師より看護師さんの方が多いこともあり、かつ身近なケアをしてくれる存在として医師とはまた違った情報を家族から取り出すこともできるため日頃から看護師さんからの判断や報告があった際にはほぼ無条件にその内容を信頼するようにしています。

ただ先日一度だけ訪問看護師さんに厳しい口調で対応してしまった1件がありました。とある患者さんが○○が苦しいとの訴えを看護師さんに連絡、しかし体位交換などで様子見るようにだけ指示しその後も20分程度症状改善ない状態だったとのこと・・・・その後看護師さんからその事について連絡あり「診断などはできないので先生みにいってくれませんか?」と・・・・・

↓以下今井の答え

うーん、行くのは別に構わないんですがその対応ちょっとないんじゃない?患者さん家族が困って電話してきたのに見にもいかないで中途半端な対応・・・緊急加算とっているなら少なくともまずは診断が必要な病状であってもまずは見に行ってできるケアや家族への対応がないかどうか現場で判断するのが大事じゃない?少なくとも俺がみてきた訪問看護師さんは何かあったらまずは患者さんの所に行って自分の目で何が起きているのか、何かできることがないのか考えてから電話してきたよ、と・・・・

結局はこちらで対応しましたが・・・、いや言い始めたらきりがないのでやめますが、こちらが訪問看護師さんに望むものが高すぎるのでしょうか?そんなことはないと自分は思っています、訪問看護師さんは医療と介護全般の問題を俯瞰的にみていける存在。何より患者さんや家族が困ったときには一番先の相談相手ですよね。緊急対応はもちろん医師が主体でやりますが、医師のみでは難しいので一緒に考えるスタンスをもってもらえたらな、と思ってしまいました・・・・・・

 

とグチっぽい話となってしまいましたので終了です。本日の気になる医療ニュースはこちらの西川先生の記事です。在宅でもオピオイド処方する機会もちろん結構ありますがepidemicって言われるくらい出すことはもちろんありません。この現状対岸の火事とみなすべきでしょうか?近い将来の日本もこのようになるでしょうか?外来での麻薬処方のためにはきちんとした薬効の確認と副作用の有無の評価などが必要なのは論を待たないとは思いますが、現状の医療制度の中ではそれが難しいのが現状・・・・・緩和ケア緩和ケアと声高らかに国が言ったとしても現場でのチェック体制が皆無であればこの米国の二の舞になる可能性があるでしょう。その役割を果たすのはかかりつけ医かかかりつけ薬剤師か、はたまた訪問看護師か・・・・どうなっていくか皆さんはどう考えますか?

 

ヤフーニュースより 米国の新しい麻薬危機(Opioid epidemic:オピオイドまん延問題) https://news.yahoo.co.jp/byline/nishikawashinichi/20170820-00074726/

 

8月に入ってトランプ大統領やプライス保険衛生局長が、現在最も重要な米国の健康問題としてOpioid epidemic(麻薬まん延)を名指しし、非常事態として深刻に受け止めていることを表明した。

これについて昨日の日本経済新聞はニューヨーク支社の大塚さんたちの連名で、記事を掲載していた。この記事ではopioid epidemicが医師の処方から始まることを匂わせつつも、この問題を最近の白人至上主義運動と連結させて、「トランプ支持の中核といえる労働市場から排除された白人中間層の崩壊の背景の一つにopioid epidemicがあり、この問題を政権が深刻に受け止めている」と抽象的な話で終わろうとしているように私には読めた。

もしこの記事に関する私の理解が正しければ、この問題を医学雑誌を通して学んできた私には、白人至上主義と結びつけた日経のシナリオには違和感がある。これまでトランプも、メキシコからの麻薬の流入や、それを防ぐための国境の壁建設と絡めて、この問題についての意見を述べてきた。しかし、今回のトランプやプライスのステートメントには、この危機が医療によりもたらされている「医原病」であり(オバマケア保険問題すら絡めている)、1980年代に蔓延したクラックなどとは本質的に違う危機であるという明確な認識がある。事実、トランプは「薬物中毒や過剰摂取をやめる最も良い方法は最初の場所(医療現場)で薬物乱用が起こらないようにすることだ」とはっきり述べている。2015年、麻薬関連の死亡はじつに33000人を超えているが、この半数以上は医師の処方によるopioidが原因だ。

トランプに言われるまでもなく、米国医学界は米国を蝕むOpioid epidemicを医療の問題と理解しており、ここ数年多くの医学雑誌で特集が組まれ、また公的な調査レポートも発表されてきた。7月以降発表された論文だけでも30はくだらない。

米国医師会雑誌(JAMA)の先週号では2編の意見論文が掲載された。プライス長官が「毎年ヤンキースタジアムやドジャーススタジアムの観客数と同じ数の人たちが死んでいることを考えると、Opioid epidemicはまさに緊急事態と言える」と語ったように、最初のJAMA論文(Bonnie et al, JAMA 318:423, 2017)によると、opioidの過剰摂取による死亡が2011年の7019人だったのが、2015年には19884人に増加している。そして痛みの治療に対して、本当にopioidが長期効果を持つのか疑う意見もあることから、opioidの使用が完全に禁止される可能性すらあると懸念を表明している(トランプ、プライスではこの可能性がないとは言えない)。そしてこの問題にたいして、科学的エビデンスに基づいてより現実的な方策を模索すべきとした米国アカデミーからのレポート「Pai Management and the Opioid Epidemic(opioid epidemicへの対処)」を紹介している。

同じ JAMA には国家機関であるFDAからも、具体的な薬剤投与プロトコル提案も含めてこの危機を終わらす決意で取り組んでいる対策の概要について報告が行われている(Gottlieb and Woodcock JAMA ,318:421)。詳細は省くが、いずれの意見広告も、opioidが医療に役立っていることも評価した上で、科学的証拠に基づきこの問題に対処すべきことを強調するものだ。

この問題をあくまでも科学的に解決しようとする米国医学界を代表して、NIHのVolkowとCollinsが7月27日号のThe New England Journal of Medicineに論文を発表した(Volkow and Collins, The role of science in addressing opioid crisis(opioid危機に対する科学の役割), The New England Journal of Medicine, 377, 4, 2017)。NIHの長としていつも揺らぐことのない意見をタイムリーに発表し続けるコリンズに改めて感心したので最後に短く紹介する。

このオピニオン論文では、opioidの急性中毒に対する治療法の開発、依存症に対する薬剤の開発、opioidに代わる鎮痛剤の開発を3本柱に、緊急対策から長期対策まで明確な工程表に基づき進めることが、この問題の解決に必要であることが述べられている。

現在のopioid過剰摂取による死亡の主な原因は、ヘロインの50-5000倍も薬効の高いμオピオイド受容体刺激剤であるフェンタニルやカルフェタニルで、救急で投与される拮抗剤のナロキサンの効果が追いつかない結果であることをまず指摘している。そしてこれに対して、現有の拮抗剤を組み合わせたより有効な使用法の開発、新しいopioid拮抗剤の開発が急務であることを指摘した上で、全く新しい神経経路を介する過剰摂取患者の治療法の開発、自宅で過剰摂取を検知して自動で拮抗剤を投与する機器の開発などが中長期的方法として現在開発されていることを紹介している。

依存症に対しては現在メタドーン、ブプレノフィン、ナルトレゾンが利用できるが、効果が短いためどうしても施設での教育が必要で、当然施設の数が足りない。従って、現在利用できる3剤を組み合わせて、外来でも治療可能なプロトコルを開発して当座をしのぎつつ、例えばロルカセリンやロフェキシジンなど全くメカニズムの異なる新しい薬剤の効果を早急に確かめること、これと並行して、さらに長期効果を持つ薬剤の開発(この中にはopioidに対するワクチンや抗体の開発まで視野に入っている)が進んでいることを指摘している。

最後に、一番効果があるのはより安全で、習慣性のない鎮痛剤の開発だが、製薬企業も開発にしのぎを削っている。その上で、短期的には医師の教育を含めて、新しいopioidと他の鎮痛剤を組み合わせた投与プロトコルを開発して当座をしのぐしかないことを強調している(もちろんこの成否には、健康保険会社の理解も必要で、フェンタニルとヘロインはメディケイドも認める安価な鎮痛剤だ)。長期的展望としては、遺伝子治療から細胞治療まで挙げられており、成功すれば利潤は大きいことから、政府の旗振りがなくとも開発が進むと確信できる。

このような対策に加え、もう一つの緊急課題は処方する医師の教育だ。

これに関して全米経済研究所は「Addressing the opioid epidemic: is there a role for physician education?(医師の教育はopioid endemicに役立つか)」という恐るべきレポートを出しているので最後に紹介する(ウェッブサイトからダウンロード可能)。レポートでは医師の出身校のランクと、麻薬の処方量を比較し、ハーバード大学を頂点とする全米ランキング約90校出身者を対象に調べると、ランキングの低い医学校出身者ほど麻薬処方量が高く、例えばハーバード出身者の平均を1として比較すると、最低ランクの大学の医師は、なんと3倍も処方しており(開業のケースでは5倍に上る)、安易に処方が行われていることを示している。出身校で医師のランキングが決まるわけでは決してないが、平均値として考えた時、大学格差が医療にとって重要な問題であることをこのレポートは示している。

最後に、これは決して対岸の火事ではない。我が国でも、全ての薬剤は処方可能で、痛みから解放してほしいという要望も強い。全米経済研究所のレポートを読んで、問題が深刻にならないうちに医師の教育と、opioidの新しい安全なプロトコルの開発から始めるべきだと思った。

 

 

とのことでまた往診に行ってきたいと思います・・・・

高齢者の医薬品適正使用に関する検討課題と今後の進め方について

子供が成長するのは本当に早いのを実感します・・・・・

 

こんにちは、本日は日中の待機を他の先生の希望により交換したため時間の空きができました。どうしたもんかなぁと考えていたんですが、子供達を夏休みあんまりどこにも連れて行っていなかったのでせっかくだからとコンサドーレの試合を見に厚別競技場まで行ってきました。

実家が近くなので昼ご飯を両親と子供と食べ、車を置いて競技場に出発です。久しぶりのスタジアムでしたがやっぱり臨場感が違ってスタジアム観戦はいいですね。

↓いい天気で、しかも試合も勝ってくれてよかったです。

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一番下の2歳児は応援の太鼓が鳴るたびに「怖い怖い」と言っていましたがそのうちに慣れるでしょう。楽しい時間を過ごすことができて良かったです。オンオフがはっきりしているとこんな時間もつくれるのはいいですね・・・・・

 

さて本日はこの記事を紹介します。高齢者のポリファーマシーって何が一番の原因なんでしょうか?個人的には行き過ぎた専門診療制度がやはり問題なんじゃないかなと思います。色んな科から色んな薬が出すぎていて管理できていなかった人、本当に今までたくさん診てきました。当院で診療に入ってまずはすることが服薬整理や飲み方を簡素なやり方への変更ってこと結構あります・・・・・国は薬剤師さんに多医療機関受診している患者さんの包括的な薬剤管理をしてもらえたらと思っているとは思いますが、現実的にはフリーアクセスの制限の実行(複数医療機関の受診の制限)と在宅も外来もやり包括的になんでも相談にのるかかりつけ医制度がもっと浸透しないとこの問題解決しないように思えますが皆さんはどう考えますか?

厚生労働省より 高齢者医薬品適正使用検討会の中間とりまとめを公表します http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000175100.html から 高齢者の医薬品適正使用に関する検討課題と今後の進め方について http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11121000-Iyakushokuhinkyoku-Soumuka/0000175077.pdf より

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この問題、結構根が深い問題だと思います。現場で本当に多くのポリファーマシー問題みている人間としては、根本的な医療の在り方を変えていかなければ改善しないんじゃないかと個人的には感じています・・・・・・・・・・かかりつけ医制度の進行は最初は患者さんの慣れないものへの不安や専門科への信仰から「怖い怖い」というかも知れませんが、そのうち慣れてくれるんじゃないか、メリットがあるってわかってくれるんじゃないかと思いますがどうでしょうかね?

診療所見学に行ってきます

時間がないので簡単に更新です・・・・・

 

こんにちは、外来開始にむけて少しずつ準備を開始していますがわからないこともたくさんあります。院内処方とする予定ですがそのオペレーションの仕方、外来の運営の方法、予防医療の積極的な行い方等々・・・・うーん、自分達で考えるのも一つのやり方でしょうが正直札幌にはいい病院や診療所がたくさんありますよね。参考にさせて頂かない手はありません。ということで診療所見学に行くことに決めました!!早速SWに相談して手稲渓仁会病院の家庭医療クリニックさんに見学をお願いしましたところ快く受け入れてくれました、ありがたいです・・・・

↓家庭医療クリニックさんです

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家庭医療クリニックさんは在宅の看取りも積極的にやっており、在宅医療と外来、緩和ケア病棟機能まで備えている札幌で一番の地域密着型のクリニックさんだと思っています。その診療所の運営をどうされているのか、今回の見学でできる限り吸収してきたいと思います。ちなみに日程は9月1日金曜日、SWと外来看護師さんつれていってきまーす。

 

さて本日の医療ニュースはこちらです。この記事ですが皆さんどう考えますか?正直自分としては家族間の問題が解決できていないわだかまりが医療者へと向かっているとしか思えないです・・・・・・本当にこの娘さんがお母さんのことを心配しているのなら、もっと頻回に、もっと家族と治療方針について積極的に自分から話をしていくことが必要であったと思います。病院側の、言い換えると医療機関の説明義務と意思決定の支援をどの範囲まで求めていくのか、この裁判の判決はすごい重要だと個人的には思います。

在宅医療ではキーパーソン以外の家族って本当に色んな地域、遠い地域にたくさんいます。患者さん本人の意思と家族の意思とが同じ場合はいいですが、今回のように確認できない場合や異なる場合どのように治療や療養への意思の摺合せを行っていくのか、その場合キーパーソン以外のその人達へ医療者が積極的にコンタクトをとっていくことが義務なのか・・・・・ここまでもとめられれば正直医療はできないのではないでしょうか。

患者さんの意思がある場合=患者さんが意思決定する

患者さんの意思がない場合=LWを確認する、できなければキーパーソンの意思を尊重する(医療者はキーパーソンの意向を無視することはできないです・・・)

これが普通ですよね。LWを確認すること、家族のだれがキーパーソンなのか確認することは医療者のみの責任、債務?ここまで医療者の責任を追及するのであればまずは家族の方の責任についても考える必要があるのではないでしょうか?

 

 

BLOGOSより

母の治療をめぐり兄弟間で食い違い。高齢者の命の尊厳を守る医療裁判は最高裁へ http://blogos.com/article/241749/

入院中だった実母(享年89)に対して十分な説明もなく、治療を中止し、死なせたとして、林田悦子さん(71)が、立正佼成会付属佼成病院の経営主体の宗教法人立正佼成会などを訴えていた控訴審で7月31日、東京高裁(河野清孝裁判長)は、林田さん側の控訴を棄却した。

争点の一つとして浮上していたのは「キーパーソン」だ。判決ではキーパーソンの設定に問題はない、としている。林田さんは判決不服として、最高裁に上告した。

実母が脳梗塞で入院。呼吸状態悪化で入院から83日で死亡

訴状によると、2007年6月18日、林田さんの実母が脳梗塞で倒れ、佼成病院に救急搬送され入院した。経過がよかったために、7月2日から、退院に向けてリハビリが始まる。4日には車椅子に乗るようになり、リハビリ室にも来れるようになる。5日には平行棒内で起立もできた。12日には介助なしで、ベッドの横に足を下ろして座る姿勢(端座位)ができるようになった。

林田さんは、病院に行った日はいつもリハビリに付き添った。当時、実母は、理学療法士の指導で名前を書いたり、輪投げをして、機嫌がよかった。しかし林田さんの認識では、長男が少なくとも7月27日までには、実母の経管栄養の流入速度を速めた。その頃から、元気がなくなっていく。長男は8月15日にも流入速度を速めた。その後、実母は嘔吐して具合が悪くなった。

さらに、8月20日、医療記録によると、「長男は延命につながる治療すべて拒否、現在DIVで維持しているのも好ましく思っていない」ため、「本日にてDIV(点滴)終了」と書かれている。つまり、点滴も酸素治療なども中止した。この治療拒否について、林田さんは長男から説明を聞いていない。また27日の、医師記録では「抗生剤変更、増強したいところではあるが、(長男が)高度医療を拒否されている」と書かれている。

9月3日には、実母の呼吸状態が悪化したが、長男は酸素吸入も断っている。

ただし、夜間だけは、呼吸が止ると病院が手薄だからあたふたする等の理由で酸素マスクをした。担当医師は、「もとより、酸素がある方が本人は楽であろうが」とも書いている。しかし、朝になるとはずされるため、日中は呼吸状態が悪化し、夜は持ち直す、という苦しい日々が繰り返された。結局、8日、実母は亡くなった。

病院側は裁判になってから「キーパーソン」を持ち出した

この訴訟では病院が適切な治療をしていたかどうかも争点だが、病院側が長男の意向に沿った治療をしたことの是非が問われた。病院側は、裁判の途中で「キーパーソン」という言葉を持ち出し、キーパーソンの長男との間でかわされたやりとりを中心に治療方針を決めたことにしている。

一方、林田さんは「病院側は当時。長男にもキーパーソンという言葉も出してないし、その役割についても説明していない」と述べ、病院側の説明が十分ではないことを主張していた。林田さんがこうした経緯を知ったのは、実母が亡くなって2年後だった。また医師記録を見て長男が「自然死させてください」との旨を医師に伝えていたこともわかった。

たしかに、患者本人の意識が曖昧な場合、終末期医療をどう決めていくかのプロセスは問われることになる。

林田さんが医師と会ったのは2回。実母入院後11日目・6月29日のときは、「驚くほど経過は良い」「7月からリハビリを始める」などの説明があった。実母の病状が悪化した9月7日にも会っているが、長男が延命につながる治療や酸素投与を拒否したことについて、またそのリスクについての説明を受けていない。それどころか実母の治療には最善が尽くされているものと思っていた。

林田さんは「医師は長男がキーパーソンだと、裁判になって突然言い出した。キーパーソンを誰にするのか、その役割は何かという説明は受けていない。長男もキーパーソンという言葉を口にしてない。仮に長男がキーパーソンなら、役割を果たしていない」と指摘している。

さらに続ける。

「具合が悪くなったときには医師と話し合いで、異論を述べなかったことが、判決では延命治療拒否についての『同意』とみなされた。このとき、少なくとも家族間では話し合っていない。医師は、母について、『苦しそうに見えますが、今、お花畑です』と言っていた。母は、苦しくなく、持ち直すのだろうと私は思っていた。家族の一人が同意をすれば、高齢者は死なせていいのだろうか」

合意形成のプロセスは適切か

厚生労働省は07年5月、「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を発表している。林田さんの実母が亡くなったのは9月だ。これによると、「終末期医療及びケアの方針の決定手続き」という項目がある。それは1)患者の意思が確認できる場合と、2)患者の意思が確認できない場合、とがある。

林田さんの実母の場合、どの段階でのやりとりが「患者の意思の確認」とするのかも問われるところだ。林田さんは「母は90歳までは生きたいと言っていた」と主張するが、長男は「万が一の場合は、延命は不要との意思表示をしていた」と主張し、親族間でも、「意思の確認」が共有されていない。ガイドラインの注釈にはこうある。

<患者の意思決定が確認できない場合には家族の役割がいっそう重要になります。その場合にも、患者が何を望むかを基本とし、それがどうしてもわからない場合には、患者の最善の利益が何であるかについて、家族と医療・ケアチームが十分に話し合い、合意を形成することが必要です>

そうなると、合意形成のプロセスが問題になる。判決では「たとえ、控訴人(林田さん)が頻繁にお見舞いに来ていたとしても、実母の家族の全員に対して個別に連絡をとることが容易な状況であったことを具体的に認めるに足りる証拠はなく、そうである以上、キーパーソンを通じて患者の家族の意見を集約するという方法が不合理であるとは認められない」「医師がキーパーソンである長男から延命措置に関する家族の考え方を聴取していた当時、林田さんがキーパーソンと異なる意見を持っており、医師がそのことを認識し得たとは認められない」として、キーパーソンの設定には問題がないと判断した。

林田さん「判決は真実ではない。高齢者の命が大切にされていない」

林田さんは患者の自己決定権が無視されていることも含めて、判決には納得してない。そのため、最高裁に上告した。最高裁が上告を認めるためには、憲法違反や訴訟手続き違反、明らかな法令違反が必要になる。

そのため、上告が認められるかどうかは未知数だ。それでも林田さんが上告したのは、「地裁や高裁判決を認めたくないことの意思表示。判決は真実ではない。インフォームドコンセントは、単に説明だけするのではなく、納得と同意が必要なはず。高齢者の命が大事にされていないのではないか」と述べている。

最後にこう付け加えた。

「患者の事情は、一人一人違うのだから、医師達、家族達、関係者複数人で何が患者にとって最善の医療であるのかを話し合うことが必要であると思う。仮にも人として一番大事な「命」を絶つ決定が簡単に実行されたことに驚いている。これでは病院は姥捨てに悪用されかねない」

 

 

難しい問題ですがこれからこのような高齢者の意思決定の問題が増えてくると思います。皆さんも是非考えてみてください・・・

内覧会のお報せ

この時期の雨は好きです、季節がかわるのがよくわかりますね・・・

 

こんにちは、外来診療準備中@今井です。これまでの在宅医療に加え地域に貢献できるような外来を10月から開始予定ですがそのための準備、徐々にですがしつつあります。当院のスタッフさんがつくってくれたこのチラシ、すごいと思いませんか?

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こんなのつくれるなんてすごーい、と感動してしまいました。他にチラシつくり頼もうかなとか思ったんですが、このチラシみてその考えすっとびました。スタッフさん達と手作りで診療所つくっていきたいのでこのチラシ、どんどんつかっていきたいと思います・・・・という訳でチラシにも書いてある通り新しい診療所の内覧会のお報せです。10月4日に行いますので興味のある方はぜひ来てください。これから案内のはがき出していきます。

当院の外来の特徴は①土日も休まずやる②体調不良時の往診対応をする③訪問看護も外来から行う④在宅医療と同じで全人的な医療を提供し緩和ケアもしていく、でしょうか。①に関しては自分だけでは無理ですのでできるだけ早い時期に複数医師体制として活動していく予定です。外来もみて在宅も対応して、医師も看護師もリハもワーカーもケアマネも全員で地域でうごけるクリニックにしていきたいと思っています。

 

さてさて本日の医療ニュースはこちらです。第145回社会保障審議会介護給付費分科会資料において介護保険におけるインセンティブの話がでています。介護保険で自立支援へのインセンティブをつけることは確定のようですが何をもって自立していくとみなすのか、正直すごい難しい話ですよね。要介護度の改善って言っても正直要介護度の審査は審査員の書き方や書類でだいぶ変わってくるのは皆さんよく承知されていると思います。ここのポイントが今後どうなるか、一応注視してみたいと思います。

第145回社会保障審議会介護給付費分科会資料 http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000175125.html から 資料1介護サービスの質の評価・自立支援に向けた事業者へのインセンティブ http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000175111.pdf より

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HPも10月にむけて変更しないといけないので見やすくしていきたいと思います・・・・・