ベット柵の使用=身体拘束

時間をみつけて更新です・・・

 

こんにちは、患者さんがデイから帰ってくるまでの30分弱・・・時間が空いてしまったので近くのアイス屋さんに看護師さん2人と一緒に行ってきました。

↓西野までちょびっと足伸ばしています

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↓ナッツが入ったジェラートですが美味しかったです

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さて先日とある特定施設で患者さんのケアについて話をしていました。ADLが落ちてきている癌の患者さんで褥瘡予防のためにエアマットの使用が望ましい状態・・・・・そこで施設にあるエアマット使いませんか?と話をしたら「せん妄のある患者さんでは使用できません」とのこと。よくよく話を聞くとエアマットに併用するベット柵を使用すると身体拘束となってしまうため法律違反。手すりなしならエアマット使ってもいいですがこの患者さん落ちちゃいますよ、と。うーん・・・・確かにベット柵って身体拘束とみなされるかもしれませが家族の方に説明してもだめですか、と聞いたんですが施設として難しいですと・・・どうしたらいいんじゃい・・・・・と言っても仕方ないので施設のケアワーカーさんには悪いんですが泣く泣く人力で体位交換してもらうことにしました。

居宅の患者さんには問題なく使っているベット柵、施設に入るとそれだけでベット柵の使用=身体拘束とみなされて使用できないっておかしいと思いませんか?明らかに患者さんの不利益になっていることあると思います。現場では原理原則だけでは解決しないこと結構あるはずです、実際の法律の運用ももっと肌感覚に近いかたちになってくれるといいですね・・・・、と個人的には思いましたが皆さんはどう考えますか?

 

さて本日のさらに気になる医療ニュースはこちらです。この記事の内容すごいいいですね。特にいいと思ったところ赤文字にしていますので是非一読してみてください。

m3.comより

「入院から在宅」コストではなく尊厳の問題―田中滋・地域包括ケア研究会座長に聞く◆Vol.4 https://www.m3.com/news/iryoishin/550175

――一地域包括ケアシステムを説明する「植木鉢図」が一つ一つの家庭、利用者だとすると、個別事例はこれまでもたくさんあったと思いますが、地域包括ケアシステムができていると言えるのでしょうか。

ある「個別包括ケア」ができている状態と、地域包括ケアシステムができている地域では話の次元が違います。優れた医師やナース、あるいはケアマネジャーや福祉職によって、これまでもたくさんの優れた「個別包括ケア」は行われてきました。ただ、荒れた土地でも花が咲く可能性はありますが、それでは超高齢期全体を視野に入れた戦略とは言えません。きちんと耕して肥料をまけばもっと多くの花が咲くでしょう。そのためのプラットフォーム作りが、地域包括ケアシステムなのです。

――似た言葉として「地域医療構想」があります。両者の関係を教えてください。

 両輪の関係です。地域医療構想は退院後の生活を考えるためにも病床機能の分化を提唱しており、地域包括ケアシステムが存在しないところでは、地域の急性期病床や回復期病床の数も決まらないはずです。地域包括ケアを考える時にも、急性期対応をどこがしてくれるかを考える筋立てが不可欠です。

高齢者の多くは入院、在宅、施設を循環的に回るので、体制構築に当たってはセットにして議論しないと話が進みません。一方で、繰り返しになりますが、地域包括ケアシステムはプラットフォームであり、医療・介護と関わらない保育や障害者福祉なども「花」としてはあり得ます。

――「入院から在宅へ」という流れは、国にとって医療費抑制という意図もあるかと思います。地域包括ケアシステムで医療費は抑制できるのでしょうか。

 全然関係ない話です。病床数を20万床削減し、入院医療から在宅医療と介護に移れば、診療報酬点数を変えない限り、入院医療費は減り得ますが、急性期病院機能を守るためには単価を高くしなくてはならないかもしれません。政策の細かい設計を考えない乱暴な予測にどのような意味があるのでしょう。

――医療費と介護費のセットでは減るのでしょうか。

それぞれの単価の将来が決まっていないので、全く分かりません。

――では、入院から在宅への移行はどのような意味があるのでしょう。

 それは人々の生活の尊厳です。病院は施設です。施設の定義は上位目的があって、そのために生活を犠牲にするところです。刑務所の上位目的は矯正で、そのためにプライバシーもなく、自由もない。子供で言えば、林間学校は施設ですが、集団生活の規律を学ぶ上位目的があります。医療においては、入院は救命や治療などの上位目的があるため、プライバシーや自由を一定程度我慢するのは当然です。

 しかし、原則として、尊厳を満たすためには、人は自分の好きな生活を送る自由を持つべきです。医療ニーズはさほどないのに単にケアが必要だから入院する、では本人の尊厳を保てない。在宅への移行はそのためであって、コスト削減策ゆえ、とは考えていません。

――在院日数を短縮する施策の影響もあり、退院先を探すのに困っているという声も聞きます。

その課題の多くは病院の日頃の経営レベルの問題として捉えられます。経営者たるもの、院内完結の時代ではない以上、普段から地域づくり、せめて関係性作りをしなくてはなりません。例えば済生会熊本病院は、連携する後方病院・施設との関係性を重視し、何年間も一緒に勉強会をしています。そうした計画や実践を伴わず、単に「送り先がなくて困る」、では経営者、地域の先導者とは言い難い。もちろん、そのように面倒な社会的課題は自分は得意ではない、そうではなく現場医療に尽くす人生を選ぶ、と宣言する医師も心から尊重しますが。

地域包括ケアシステム、地域医療構想においては、どの病院、施設、事業所も、比喩で表せば一連の工程の一部を担っているのであり、急性期医療が単独で存在しているように考えてはいけません。TOYOTAは一社で存在するのではなく、関連会社を世界的企業にする応援を行い、連携体制を作っているから強いのです。

大きい病院の経営陣こそ、地域包括ケアシステムを作らなくてはなりません。現場医療しかできない人は経営者であるべきではない。病院の周りの環境を作る努力も経営陣の責務です。地域で信頼されるには、地域包括ケアシステムを理解し、仕組み作りを手伝い、院内で高齢者ケア、障害者ケアがどのようなものかを理解させていくべき時代ではないでしょうか。

――先生が座長を務める「地域包括ケア研究会」はもうすぐ10年目になります。この間の変化をどのようにご覧になっていますか。

2014年にできた医療介護総合確保促進法の第1条には「地域包括ケアシステムの構築」とあります。国策として推進されてきた最近の趨勢もあり、自治体でも地域包括ケアを担当する部署も100の単位で増えてきました。国の全ての厚生局に地域包括ケア推進課もできました。 地域特性に応じた仕組みも多く作られており、厚生労働省のウェブサイトや研究会の報告書で優れた事例が紹介されています。

 

 

という訳で自分も同じ意見ですが在宅医療への移行=医療費の削減、では全くありません。むしろ高コストとなることもあるでしょう。それより重要なのは個人の尊厳や自由を病気になったといっても尊重してあげること、ではないでしょうか。皆さんもそう思いませんか・・・・・