遺影の写真
夜中に往診して今日は少し寝不足気味なんです・・・・・・
こんにちは、今日も夜中から往診、朝から定期の診察ぐるぐるとこなしています。明日の加藤先生とリハビリの桑原君の歓迎会を目前にして体調崩すのも残念なので、ちょびっと診療のペースダウン・・・・昼はいつもより少しゆっくり休憩をとります。(他の診療所はよくわかりませんが、一人で訪問診療始めた5年前から昼の休憩は大体出先でとることが多かったです。最近は先生増えて少し休めるようになっているのはありがたいです)
↑この段階まで午前中に書いていましたが昼には看取った患者さんのご家族が来院されその対応、さらに少し午後は時間あったので訪問の間に最近看取った患者さんお二人のご自宅に訪問してきました。3家族とも患者さんの疾患は認知症と癌と違うものの、最後まで自宅で過ごしたい、過ごさせてあげたいとご家族の方が考えたことには違いはありません。その家族達の話をゆっくりと聞いてきました。遺影の写真も自分達が知っている患者さんとは少し違い、元気でいい表情をされていました。来週にでも今度は訪問看護と振り返りカンファを行いたいと思います。(ということで記事に書くこと最近少し困っていましたが来週は振り返りカンファの記事を主体にしたいと思います)
あと”認知症の方の尊厳と家族の思いと・・・ http://www.imai-hcc.com/archives/3057 ”の記事で書いた当院で診療している認知症の患者さん、結局自宅で過ごすことは難しくなりそうな感じです。本人と家族→現状のまま自宅で住んでいるのがベストと思っている、ケアマネとヘルパーさん→外からカギをかけると指定取り消しになるかも・・・・との意見、結局は患者さんが居住場所を変えることになるんですね・・・・地域包括ケアとは地域で誰もが過ごしていくこと、過ごしていけるようにコミュニティを作っていくこととと個人的には思っていたのですが、実際今回のケースでは国はアクセルとブレーキを同時に踏んでいるような、地域包括ケアの構築に真逆な事をしている印象です。今後さらに同様なケースがでてくるのでしょうか・・・・・どうなるでしょうね・・・
さて本日の気になる医療ニュースですが以下の記事を読んでください。こんな形の寄付でも運営していけるホスピスが札幌でもできるといいですね、そうおもいませんか?
yomiuri onlineより https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20160530-OYTET50051/
小児の緩和ケア医として子どもを診る立場から 多田羅竜平
さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~
テーマ「現状と課題」 子どもたちのための緩和ケア‐社会は子どもたちのために何ができるだろうか‐
私はもともと新生児医療を中心に働く小児科医でした。新生児医療はこの30年ほどの間に大きく進歩し、その結果、それまで助からなかった多くの赤ちゃんが助かるようになりました。そして目標はただ救命するだけでなく、”Intact Survival(後遺症なき生存)”が新生児医療に携わる者たちの合言葉でした。新生児医療だけでなく、小児がんなど様々な病気の子どもたちも同じようにたくさん助かるようになりました。
それでもなお、残念ながら救命できない、完治できない子どもたちがいます。多くの子どもたちが後遺症なく生きられるようになってくると、逆にそれが達成できなかった時の医療者の敗北感はより一層強くなりがちです。そして、医療が進歩しても治療のすべのない病気の子どもたちがいます。病気を治すために大きなエネルギーを注ぎ込むことが求められる環境においては、治せない病気の子どもを前にした時の無力感はより大きなものとなります。
私自身も多くの子どもたちの死に関わってきましたが、なかでも深く印象に残っている患者さんの例を紹介します。「先天性表皮水疱症(最重症型)」という難病で生まれた赤ちゃんがいました。この病気はちょっとした刺激で全身に水ぶくれができて、ただれます。口の中のただれのために、口からのみ込む時には激しい痛みを伴います。気道のただれのために呼吸困難( 喘 ぎ)を生じます。全身皮膚のただれは激しい痛みで着衣もままならず、夜もろくに眠れません。しばしば感染によって発熱、消耗も伴います。
根治的な治療方法はなく、治療は対症療法が基本になります。最重症型は一般的に生後数か月以内に死亡します。その子も生後数か月で亡くなりました。当時の私にはうまく症状を緩和するための知識も経験もなく、苦しみを和らげてあげることができないまま 看取 らざるを得ませんでした。
わが子を生まれて数か月で看取らなければならなかった母親から「この子は何のために生まれてきたのでしょうか。生まれてからずっと苦しいことばかりで、何か一つでも生まれてよかったと思うことはあったのでしょうか」と問われ、この頃の私には返す言葉が見つかりませんでした。
イギリスで「子どものホスピス」に出会う
このような敗北感、無力感が小児科医としての私の心に巣食うようになっていたころ、イギリスには「子どものホスピス」という施設が40施設近くあることを知りました。まだ日本では「子どものホスピス」という言葉すら、全く知られていないころです。何はともあれ、子どものホスピスを見てみたいと思いイギリスを訪れました。2005年夏のことです。
訪問させていただいた世界で最初の子どものホスピス「ヘレンハウス」は、家庭的な温かい雰囲気に包まれ、子どもたちが楽しむための様々な工夫を凝らした部屋、きれいな中庭、たくさんの遊具、広いリビングなどがあり、子どもたちの個室にはベッド、勉強机、ソファ、トイレ、浴室など一式が整っています。食事はダイニングルームで利用者もスタッフも皆一緒に大きなテーブルを囲んでとります。
亡くなった子どもたちの名前が記帳された本や写真が飾られているなど、亡くなった子どもたちが大切にされているのも子どものホスピスならではの光景です。家族滞在用のスイートルームもあり、亡くなった子どもとゆっくりと一緒にいられる部屋もあります。スタッフはマンツーマンで子どものケアにあたります。全てが新鮮な驚きでいっぱいだったのですが、何より驚くべきは、子どものホスピスの活動が地域からの寄付によって成り立っており、医療・福祉制度から独立した運営形態だということです(このような運営形態をフリー・スタンディングといいます)。地域全体で重い病気の子どもと家族を支えるという、社会全体を包む精神の美しさに何よりも心を打たれました。
「生まれてきてくれてありがとう。一緒に過ごせてとても幸せだったよ」。そんな言葉が家族から自然と出てくる世界を経験した私は、イギリスで小児緩和ケアの勉強をしようと決心しました。当時、わが国では誰も足を踏み入れたことのない領域だけに、将来の具体的な計画はおろか、帰るところもない中で、とにかく何の役に立つかはわからないけれど、小児緩和ケアの専門家というものを目指してみようということだけを決めて、イギリスの小児緩和ケアチームの門をたたきました。
イギリスでは、小児緩和ケアという領域が小児医療の中で確立していていることを目の当たりにしました。様々な職種のたくさんの人たちがいろんな場所で生命を脅かす病気の子どもたちのために取り組んでおり、そこにはやるべき医療やケアが、学ぶべき専門的な知識や技術がたくさんあること、そして小児医療とは、子どもの「死」に立ち向かうだけではなく、たった一度の大切な短い人生の「よりよい生そして死」を支える実践でもあることを実感しました。一例をあげると、イギリス全体で小児進行がんの在宅死亡率は80%近くに及びます。当然、いろんな人たちが力を併せて自宅での看とりを支えなければこのような数字を実現することはできません。
「代われるものなら代わってあげたい」家族のサポートも大切
また、小児緩和ケアは子どもだけでなく家族のサポートが大切なのは言を待ちません。子どもを看取るという経験は、およそ人間が経験しうる最も辛い出来事といっても過言ではないでしょう。このような状況におかれた親がしばしば口にするのは「代われるものなら代わってあげたい」という言葉です。この言葉には、自分の命よりも大切なものを失うことの無念さが表れています。イギリスでは、こうした困難のさなかにある家族(死別後も含めて)へのケアが多様かつ重層的に取り組まれていることにも驚かされました。
イギリスから帰国した当初、小児緩和ケアを始動するのは簡単ではありませんでしたが、おりしも緩和ケアが政策的な課題になったこともあり、小児医療においても少しずつ緩和ケアの大切さが理解されるようになってきました。第2期がん対策推進基本計画では、小児がん拠点病院に小児緩和ケアの実践が義務づけられたり、小児緩和ケアの研修会が国の事業として展開されるなど、この10年の間に小児緩和ケアも少しずつ前進してきたことを感じています。
しかし、今のところ、小児緩和ケアの実践は入院中の子どもへのサポートが中心に進められています。ただ、それだけでは生命を脅かす病気と共に生きる子どもたちとその家族の日々の暮らしは困難から解放され得ません。子どもは、家庭の中で暮らし、学び、遊びなど様々な経験、成長を得ることが大切ですが、病気の子どもは常に制限を余儀なくされます。親は介護に追われ、きょうだいはいろいろな我慢を強いられ、家族が安らげる時間も場所もありません。このように、まだまだ社会全体で支えていくべき課題がたくさんあることが分かります。
そんな中、大阪鶴見緑地公園内に「TSURUMIこどもホスピス(TCH)」がこの4月にオープンしました。わが国で初めてのフリー・スタンディングの小児専用ホスピス施設として、社会からの寄付による運営に挑戦していますが、今後の発展には多くの人たちの支えが不可欠です。
しかしながら、生命を脅かす病気と共に生きる子どもは今や極めてまれなこともあり、一般の人たちにとって身近な問題として考えるのは難しいのが現状だと思います。このような状況において、TCHをはじめ、生命を脅かす病気と共に生きる子どもたちとその家族のための様々な活動が、社会的な認知度(public awareness)を高め、必要な人材、場所(子どものホスピスなどを含めて)、そしてなにより財源を確保し、発展していくためには、社会としてどのようなことに取り組むことができるでしょうか? 皆さんと一緒に考えてみたいと思っています。
さて今日はまだまだ診療あります、頑張りましょうか・・・