治療をしない選択

来週はいよいよ引っ越しです。準備はぎりぎりまで続きます・・・・・

 

こんにちは、長年診療をしている患者さんが最近誤嚥性肺炎を繰り返すようになってきました。これまでは肺炎→特別訪問看護指示書で抗生剤点滴→1週間くらいで改善、のサイクルを繰り返してきましたがやっぱり呼吸筋の筋力低下による喀痰排泄困難が徐々に進行してきていました。

今回の肺炎、これまでと同じように抗生剤の治療を開始しましたが、自分の印象としては完治は難しいかも知れません・・・・ご本人はこれまでも「もう疲れた」「治療は無理しなくていいよ」って何度も話をされている方で、かつ現状についてもある程度は理解されています。これ以上よくならないと判断したとき、その時は抗生剤の治療なども止めて鎮静などの対応でもいいかも知れませんね。できる医療処置はあるけれど本人の意思や尊厳を考えると治療しないこともある、病院ではなかなか治療をしない選択をすることは難しいかも知れませんが、在宅ではその選択肢は充分にあり得ます。家族の方の希望もよく聞きながら、本人の意思にそった治療はどうしていくべきなのか、よく相談して行きたいと思います。

 

さて本日の気になる医療ニュースはこちらです。緩和ケアに関してのいい記事ですね、是非お読みください。

ニフティニュースより ステージ4の73歳がん患者「緩和ケアの最後の1年間」 https://news.nifty.com/article/item/neta/12180-613981/

「がん」が進行し、病院で治療の術がないと告げられたときに、どんな選択肢が残されているのか。「緩和ケア」──その響きには、単に患者の痛みを和らげ、弱って死ぬのを待つだけというイメージがつきまとう。しかし、緩和ケアを選び、最後まで普段通りに仕事を続け、家族と価値ある時間を過ごせた人たちがいる。群馬・高崎の緩和ケア診療所で、3年越しで医師と患者に密着取材を続けているジャーナリスト・岩澤倫彦氏がその実像を描く。

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●2014年9月──

「がははは!」診察室から豪快な笑い声が響く。25年前、緩和ケアの草分けとして開設された緩和ケア診療所「いっぽ」(群馬・高崎市)を訪れるのは、命の危機にある進行がん患者と家族だ。それなのに、なぜ笑っているのだろう?

こんな疑問から16回にわたる取材となったのが、笑い声の主・平野治行さんだった。気力みなぎる大きな目が印象的で、73歳にして現役の設計士。

「仕事があるから生かされている。もし仕事を辞めたら、寝たきり老人になるんじゃないかな」

こう語る平野さんは、大腸がん・ステージ4。診察室で交わす会話の中身は、かなりシリアスだが、常に笑いを交えて話す。

「夜中に痛くて目が覚めるんだ。仕事をしている時は、痛くないんだけど、なぜか家だとね(笑)。仕事のピークが11月にくるから、それまで大丈夫かな(笑)」

「お好きにどうぞ!」

主治医・萬田緑平医師も笑顔で応える(注)。

【注:萬田医師は2017年、いっぽから独立して緩和ケア萬田診療所(前橋市)を開設】

翌日、高崎市内にある平野さんの仕事場(チャスコン社)を訪ねた。大型プラント施設やベルトコンベア、漬物製造機まで、幅広い分野の設計を手掛けている。

図面は手書き。以前は“3H”など硬い芯の鉛筆を使っていたが、がんで握力が低下して“B”になった。ペットボトルのキャップを開けるのも苦労する。

「病院で検査したら、大きな大腸がんで腸閉塞を起こしていると分かって、緊急入院して即手術。肺と肝臓にも転移が見つかって、ステージ4だと。完治できないと言われましたよ」

抗がん剤治療は選ばず、以来、緩和ケア診療所いっぽを毎月1回、受診する。取材中、平野さんはモルヒネのオプソを度々口にした。本当は、仕事中でも痛みは感じるらしい。

「うーん、不味いなぁ。水で流し込むんですよ。30分くらい経つと、すーっと効いてくるんです」

●2015年2月──

この日、平野さんは妻の運転する車で仕事場に来た。もう自分で運転しないことにしたという。

「交差点の信号待ちで、5秒間くらい意識が途切れてしまったんだ。これはヤバイと思ったから、妻に送迎を頼みました。新しく決まった仕事が3つあるので、まだ死ねないね(笑)」

平野さんの体重は、以前の64キロから50キロを割っていた。食欲が落ちて、4日間で食べたのは、ヨーグルト2つ。でも仕事に対する意欲は変わらず強い。

がん患者が食事を摂れなくなると、病院では点滴などで栄養補給を行うのが一般的だが、萬田医師はこれに否定的だ。

「食べなきゃ死んじゃう、と思う人が多いですけど、がん患者の場合は無理に食べずに痩せたほうが元気ですし、最後まで歩けます。点滴などで最後まで栄養補給され、身悶えして苦しんで亡くなる患者をみてきました」

●2015年5月──

平野さんが設計した漬物製造ユニットが完成、お披露目となった。彼の仕事としては小規模なサイズだが、ユニットの構造を説明する顔は、誇らしさに満ちている。主食はヨーグルトで、本人いわく「順調に“枯れている”」らしい。

●2015年6月──

『件名:ワァーイ7番目の孫の誕生だ

生まれ変わりの誕生で心置きなく幽界へ 安心と落ち着き感をもたらしました』

喜びにあふれたメールが平野さんから届いた。この頃、筋力と呼吸機能が低下して、仕事場の階段を、何度も休みながら昇っていた。「お尻の筋肉がないから、座っていても痛いんだよ」と笑い飛ばす。こんな状態でありながら、平野さんは後輩7人を集めて設計の講習会を開き、自分の知識と技術を伝えた。

「がんが進行してくると、モルヒネも効かなくなってくる。ああ、痛い痛い、ありがたい、なんて言いながら、痛みを楽しんでいるさ。モルヒネの副作用の便秘も、結構つらい。眠っても倦怠感はとれない病気だと分かったから、仕事のことを考えて朝を待つ。面白いことに、寝ないでも平気になったよ」

抗がん剤治療をしなかったことを、平野さんは後悔していないのだろうか?

「全然、後悔はないね。仕事を続ける上で、正しい選択だと思っていますよ」

●2015年7月──

初めて自宅を訪ねると、平野さんは居間のソファに横になっていた。妻の手を借りて上体を起こすと、設計の図面を私に見せた。

「会社に行けなくなって、家で書いているんだよ。図面は見たくない! となったら本当に最後だな」

そして夫婦の間で交わされた言葉を教えてくれた。

「昨日の夜、妻から“いっぱい働いてくれて、ありがとう”って言われたのさ。涙出てきちゃうよ」

●2015年8月──

明け方、平野さんは自宅で妻に見守られながら静かに息を引き取った。享年76。萬田医師が振り返る。

「平野さんは、気持ちの問題が大切なんだ、ということを改めて教えてくれた人でした。先月も亡くなる2日前まで会社に出勤した患者を看取りました。家族もその選択を支えてあげたので、穏やかな最期でした。死のつらさを緩和できるのは薬ではなく、本人の生き方、家族の考え方です」

 

 

医療者ならば外来でも在宅でも場所や時間を問わず患者さんの支援をしていきたいですね・・・・・・