公開日:2019年06月29日

緩和ケアでの鎮静をめぐる議論~著名な医師二人の言い分は?~

こんにちは、札幌の在宅医&在宅緩和ケア医@今井です。

 

緩和ケアにおける鎮静についてお二人の医師がご自身の意見を述べられているのがとても対照的で面白いですね。少しご紹介したいと思います。

一人目は緩和ケア医師代表の大津先生です。

専門家すら抱える、緩和ケアが不十分だから「鎮静」が必要になるという誤解

「・・・・・

緩和ケアが不十分だから鎮静になるという誤解

一方で、一部の専門家とも言える方から次のような発言が為されることがあります。

「提供されている緩和ケアが不十分なので、持続的な深い鎮静が必要となる。ちゃんとした緩和ケアをすれば、持続的な深い鎮静など必要ない」

拝見していると、在宅医療をされている医師の一部からこのような意見が時に出ている印象があります。そして、自施設では持続的な鎮静がいらない、していない、という言葉もセットです。

本当に、緩和ケアが不十分だから、鎮静が必要となるのでしょうか。

この問いに答える本は、『終末期の苦痛がなくならない時、何が選択できるのか』(医学書院。森田達也著)で日本の緩和ケアの第一人者によって書かれており、鎮静や安楽死を話題に挙げる識者にも全員読んでほしいと思う好著です。また一般の方でも読める難易度に収まっており、目を通して頂くと良いと考えます。

私は今も在宅医療に携わっていますが、結論から言えば、それは患者さんの層の違いです。

心身の苦痛が甚大な患者さんは、病院から在宅に帰るのが難しいため、基本的には在宅で生活している患者さんのほうが、相対的には苦痛が少ない患者さんの割合が増えるというものです。

もちろん私は、在宅の良さを知っていますから、「家で生活すること自体で、苦痛も軽減する」という要素があることを存じています。けれどもそれだけをもって、「家では鎮静が必要ではなくなる」「病院では緩和ケアが拙劣だから鎮静が多い」というのは、偏りがある意見であるとも感じます。

そもそも、この鎮静が積極的に話題になったのは、1990年代に、現在のがんの痛みの治療法の基本であるWHO方式の開発と普及を行った緩和ケアの第一人者であるVentafridda(1952-2008)が、「患者が亡くなる数日か数時間前に症状コントロールがつかなくなることは普通によくある」と論文で述べたことに端を発しています<Symptom prevalence and control during cancer patients’ last days of life.>。

世界の緩和ケアを引っ張った人物が、「モルヒネなどの鎮痛薬治療を駆使しても、最後の数日は苦痛は取れないよね」と述べたことから、その時期にいかにして苦痛を緩和するかという話になったのです。いかに技を尽くしても、最後の数日は難しいがゆえに、鎮静という方法が発展してきたという経緯は重要です。

一方日本では、なぜか「在宅では鎮静するほどの苦痛は出ない」という言葉がしばしば使われます。

しかし世界的には、在宅でも鎮静が重要であることは指摘されています<Palliative sedation in patients with advanced cancer followed at home: a systematic review.>。

・・・・・・」

 

 

まぁ簡単に言うと、在宅緩和ケアで鎮静がないなんてありえないよね、ただ診ている患者さんの層がライトな層だけ診ているんじゃないの?っていうご意見です。

一方在宅緩和ケアにもご意見がある町医者代表の長尾先生はこうおっしゃいます。(大津先生の記事を読んだんでしょうね)

緩和ケアの専門性は、鎮痛、鎮静、人生会議

「・・在宅ホスピスと施設ホスピスの距離が気になる。
年々、両者が遠くになって行くような気がする。

たとえば、施設ホスピスは、メサドンやナルサスを好んで使う一方、
在宅ホスピスで汎用するフェンタニルパッチは、あまり使わない。

これだけでも、大きな文化の差を感じる。

「道具」が全く違う。

そして、緩和ケアの専門性は、「鎮静」に向かっている。
在宅の鎮静率が低すぎる、という緩和ケア医が多くいる。

私のことを言っているのではない。
山崎先生のことを言っているのか。

山崎先生は、本音を書いた。→こちら
正直、とても、嬉しかった。

昨年10月の日本リビングウイル研究会のテーマは鎮静だった。
在宅ホスピスと施設ホスピスが、それぞれの意見を、述べた。

その時、緩和ケア医はその専門性を「鎮静」に求めていることを知った。
アホな町医者が自宅で平穏死されたら一番困るのは緩和ケア医であると・・・

在宅平穏死が増えたら、日本救急医学会から攻撃を受け、
同様に緩和医療学会から攻撃される理由を明確に自覚した。

私は、0歳児も、20~30歳代も診ているのだけど、
町医者は老衰しか診ていないことになっているらしい。

要は、簡単な事例は町医者が診て、そうでない難問は
緩和ケア医が診ていることに、勝手にされているのだ。

いずれにせよ、平穏死は、いろんな同業者に、大変迷惑なものらしい。

まあ、せっかくの専門性を邪魔したら、申し訳ないので、
世の中そのままにしておいたほうが「立つ瀬」を残せる。

しかし正直、そんな議論はどうだっていい。
なんとか専門医なんて、どうでもいいはず。」

 

と大津先生の意見には「平穏死をするように、できるように患者さん診ていないだけなんじゃない?」といいたげなご意見ですよね。

 

個人的には在宅緩和ケアの現場でも病院と同じように一定の割合で鎮静が必要となる患者さんがいるのは動かしようがない事実だと思います。あまり在宅看取り=鎮静が必要ない、ということがあたかも普遍的な真実である、というようになってしまうのはちょっとどうかなと感じますが・・・・確かに鎮静しなくていいならしない方がいいと思うのですが、どうしても必要な患者さんにはしてあげないといけないですよね・・・

 

緩和ケア、在宅緩和ケアの現場での鎮静の話は今後大きな議論になるでしょうね。皆さんはこの議論にご意見はありますか?よければ教えてくださいね。

 

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