公開日:2019年03月18日

医療はどう提供されるべきか、そして意思決定はどう確認されるべきか、そして緩和ケアはどう関わるべきか?

こんにちは、札幌で在宅医療、在宅緩和ケアに従事している医師@今井です。

40代女性の透析中止による死亡の報道、いたるところで流れていますね。今日読んだ記事の一つにこんなものもありました。

医師の判断で透析患者を殺してもいいのか

詳細は中身をみて頂きたいのですが文末にこんな印象的な言葉が載っていました。

「・・・・透析を再開したい」という女性患者の気持ちをくみ上げることができなかった公立福生病院の行為は、「殺人」に相当するのではないだろうか。」

うーん、詳細な状況をどこまで把握してこの記事を書かれているのかは不明ですが、ここまで言い切るのは少し問題ではないかと個人的には感じていますが皆さんはどう考えますか?

今回の透析中止報道の問題点をすごくシンプルに要約すると

・終末期ではない患者に対し治療の選択肢として「治療をしない」という選択肢を医師が提示していいのか

・その際にきちんと患者さんや家族に情報提供がなされたのか

・意思決定後、患者さんの意思確認はしかるべき方法で繰り返し行われたのか

という3点ではないかと思います。

かくいう在宅医療の現場でも同じ様な内容のことが日常的に行われています。誤嚥性肺炎の治療や超高齢者の心不全の治療、または癌終末期の治療などなど・・・・在宅ではここ数年はACP、最近の言葉では人生会議ですか、意思決定のプロセスを多職種で何度も繰り返しきちんと行っていきましょうという流れとなり、患者さんの治療中止や行うべき医療行為の是非について多職種が集まり患者さんや家族と何度も話し合う時間を設けるのが普通になりつつあります。

自分はどの場面でも、どのように医療を提供してあげれればこの患者さんにとって少しでもいい時間や人生をすごさせてあげられるか、という視点から話しをすることが多いですが、この話の仕方って医療者によって大きく影響される部分ですよね。

 

今回この問題を契機に終末期に限らず自分が受けたい医療とはなんなのか、そしてその決断に必要な医療情報は医師が提供するとしても意思決定はどのように支援されるべきであるのか、そしてその後の意思確認はどのようにされていくのか、最後に緩和ケアの在り方、関わり方についてきちんと議論されることを個人的には希望します。

これから多死社会に入る現在の日本、在宅医療の世界では、高齢者に提供できる医療と提供すべき医療の差異はどうしたってでてきます。その際にどのようなプロセスを経て意思決定すべきなのか、どのように医師と患者、また周囲の多職種や倫理委員会は関与すべきなのか、考えるきっかけになればいいですね。

 

皆さんはどう考えますか?この議論、他人事ではないですよ・・

 

 

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